会えない日ばかり数えている インターホンに出てきた声は大地の母だった。向こう側からはモニターで見えているから だろう、律が何も言わないうちに、あけましておめでとう、門は開いてるからそのまま入 ってらっしゃいよ、今玄関を開けに行くわと元気な声で矢継ぎ早に言われて、吹き出しそ うになる。 彼女はいつもこんな調子だ。明るくて人が好きで、…なるほど、こういう人が育てると、 ああいう息子になるのかと、時々ひどく納得する。……ただ、息子よりかなりせっかちだ った。 律がもたもたと門を開けようとする前に、彼女はもう玄関から飛び出してきて門を開け、 招き入れてくれた。 「あけましておめでとうございます」 型どおりに挨拶する律に、 「おめでとうございます、いいお正月ね。今、大地にも下から声をかけたから、すぐに降 りてくるわ」 朗らかに挨拶を返して、そのまま立て板に水で話し続けようとする彼女を、あのそのと必 死で遮って、律は手にしていた紙袋を差し出した。 「……?……なあに?」 「祖父母からです。…去年の年末年始は、本当にお世話になりました。もっと早くお礼が したかったのに、俺がちっとも戻ってこないから何をお礼に贈ればいいか相談も出来なか ったと、ずいぶん怒られました」 「あらあら」 大地の母は困った顔をして、気をつかわないで良かったのに、と小さくつぶやく。 「うちは如月くんが来てくれてとても楽しかったから、こちらからお礼をしたいくらいな のにね」 そう言って首をかしげ、まじまじと律を見る。…そして、ふっと笑った。 「……でも、これを受け取らないと、如月くんは今よりもっと困った顔になるわけね?」 笑みを含んだ悪戯っぽい目で言われて、律も、はい、と苦笑する。 「じゃあ、遠慮なく。…ああ、こんなところで立ち話してる場合じゃなかった。寒い寒い。 …中に入りましょ」 「いえ、でも、年始早々ご迷惑では」 「上がっていかないと、あの子が角生やして怒るわよ」 肩をすくめて指さす先に、はきものをつっかけただけの大地が立っていた。まぶしそうに 目を細めて手を上げる彼に、手を上げ返して、……律は、そっと胸を押さえた。 「響也とひなちゃんは?」 お茶とお菓子を大量に持たされて、早々に大地の部屋へと引っ込む。大地の母はまだ話し 足りなそうな顔をしていたが、有無を言わさぬという息子の顔を見てあきらめたようだっ た。 「今頃、寮でまだ荷ほどきをしていると思う。冬を越すのに必要なものを、新しくいろい ろと持ち込んだようだから」 「……そうか。…寮で冬を越すのは初めてだもんな。夏に来たんだから。……そうか、ま だ二人が来て半年たってないんだ」 しみじみと言って、大地は少し笑った。 「何だか、二人とも前からずっといるような気がするよ」 「…確かに」 苦笑を返してから、ふと、律はポケットを探った。 「大地。…これ」 「……ん?」 律が差し出した白い紙袋には赤い字でぽつりと神社の名前が書いてある。ややふくらんで いる厚みで中身に気付き、大地は目を細めた。 「…お守り?」 律は真面目な顔でうなずく。 「お守りはたくさんあると喧嘩すると言うし、たぶん水嶋のおうちでも大地のことは気合 いを入れてお願いするだろうが、……どうしても、渡したくて」 「……ありがとう。心強いよ」 かさかさと紙袋を振ってお守りを取り出す。緑色の金襴の布に、目に優しい色だねと少し ふざけてから、大地は口をつぐんだ。 律がまっすぐ、大地を見ている。いたたまれないほど、澄んだ目で。 「……律。…どうかした?」 「………え」 問われて逆に律は我に返った。 「そんなにまじまじ見つめられたら、顔に穴が開いてしまうよ。……俺の顔に、何かつい てる?」 「…あ、いや」 お返しのように大地に見つめ返されて、思わず目を伏せた。 「…久しぶりだなと思って、つい」 「そうだね、久しぶりだ。…五日ぶりだな」 「……五日」 律はぼんやり復唱する。もっともっと長い間会っていないような気がするのに、そんなも のか。 「年末に俺の誕生日を祝ってくれて、今日が三日だからね」 大地は冷静なもので、三十、三十一、と指を折って数えてみせてくれる。大きくて節の目 立つ男性らしい手と、少し伏せた視線。数を数えてゆっくりと動く唇。…律は見とれた。 「…おかしなものだよね。…会えた日は数えないのに、会えなかった日は、今日も会えな い、また今日も会えないって、繰り返し数えてしまう」 大地は何故か律から目をそらすようにして笑っている。律はほんの少しだけ身を乗り出し た。 「…本当は、指を折って数えたりしなくてもすぐ答えられるんだ。……五日、会ってない んだよって」 ……そう、五日。……たった五日だ。なのにどうして、こんなに遠く離れていたような気 がするのだろう。いやそれよりも、何故大地は律を見ようとしないのだろう。 −……俺はこんなにも、大地に会いたくて、…大地に触れたいのに。 もう少しだけ近づこう。あと少し。もう少し。大地が自分を見ないから。大地がどんな顔 をしているのか、ちっとも見えないから。 …そのとき、気配に気付いたのか、大地がはっと律を見た。 「……!」 間近にあった律の顔に驚きを見せ、眉を寄せて苦しそうな顔で笑い、…律をなだめようと するかのように、唇が開く。 ああ、大地は何か言おうとしているのだと、直前で気付いたけれど、その笑顔に震わされ た律の心は衝動をもう抑え込めなかった。 唇を寄せて、大地から言葉を奪う。 吐息を絡めたりは出来ない。ただ触れるだけ。…けれど離れがたくて、長いキスになった。 「…」 気がすむまで口づけてから、はたと律は我に返り、身を離しておずおずと身体を縮こめた。 大地は驚いてはいないようだ。ただ優しい目でじっと律を見ている。その手が自分に向か ってそっと伸びてきたので、律はびくりと震えて反射的に謝っていた。 「…すまない」 「…え?」 大地の手もぴくりと止まる。 「…その、…何か言いかけていたのに、…遮ってしまって」 「………ああ」 一瞬強張った大地の顔が、またゆるりと和む。 「俺のこと誘ってる?って、聞こうとしたんだ。……聞く前に答えをもらっちゃったけど」 誘ってる、という言葉に、律は耳が熱くなるのを感じた。 「……すまない」 「…。なんだか今日の律は謝ってばかりだな。……今度は何?」 「…我慢がきかなくて」 「我慢ってキスのこと?」 「…」 改めて単語にされるといっそういたたまれなかった。うつむいた律に、頭上からの大地の 言葉は優しかった。 「我慢なんか、しなくていいよ」 「…そうはいかない」 「律?」 「今回だって、たった五日だ。別々の大学に入ってしまえば、きっともっと会えなくなる。 …俺は、我慢を覚えないと」 ……こんな風に、仕草を見ただけで衝動で我を忘れているようでは、…この先。 「だから、我慢なんかしなくていいって言ってるのに」 うつむいた律からは見えない大地が、喉で笑っている。 「律が会いたいと思えば呼べばいい。時間はかかっても、俺は必ず会いに行くよ」 「…そんなわがままは言えない」 「わがままっていうのは一方通行の欲求の時に使う言葉だよ。俺だって律に会いたい。二 人ともがそう思うなら、その気持ちはわがままじゃない」 「…大地。詭弁で俺を甘やかすな」 「大切な人に甘えてほしい、甘やかしたいと思うのは当然の感情だよ」 「……大地」 意を決して顔を上げた律を、大地はじっと見ていた。その優しく細められた瞳を見て、律 ははっと気付く。 ……ああ。…誘っているというのは、こういいう眼差しなのだと。 うっとりと切なく、請う瞳。 「ね、律。……もう一回、キスして」 甘い声に逆らえない。あやつられるように身体が動いて、律は再び大地に口づけていた。 今度は羽根のように軽いキスだったけれど、大地はうれしそうにふふ、と吐息で笑った。 「…ほら。…律だって、俺のこと甘やかしてる」 身体を離したつもりが、離れ得ない。気付けば、がっしりと背中を手で支えられていて、 ゆっくりと、大地が律の上に覆い被さってくる。 「……駄目だよ、律。…オオカミを図に乗らせちゃ」 「……っ……。……だ、だい……」 背中からへたりと床の上に倒れ込んだ。これから起こることへの期待と不安で、ぎゅっと 固く律が目を閉じると、大丈夫、と余裕めかした含み笑いで大地がつぶやく。 「今日はキスだけで我慢しておくよ。……キスだけで、ね」 言い終わるなり、むさぼるような口づけが降りてきた。息までも奪われて、理性も正気も どこかへはじけ飛んでいく。 キスの合間に、律の額に額をこすりつけて、大地が何かを囁いている。おぼろな意識で必 死にその言葉を追うと、彼はこうつぶやいているのだった。 ……もっと冷静でいられるはずだったのに。 自分から目をそらしていたのはそれかと、……我慢がきかないのは自分だけではないのだ と、ゆるりじわり、安堵に心が震える、昼下がり。