僕と君の日常 大地が寮のラウンジに顔を出したら、待ってましたとばかりに手招いた人物がいる。…薄 い笑いを浮かべたその人物は、土岐だった。 「榊くん、ちょお悪いけど手ぇ貸してや。阿呆みたいに情報と土地勘あるやろ、君」 「……手を貸せと頼んできているわりには、聞き捨てならない一言が付け加えられてた気 がするんだが、気のせいかな」 「は、何のこと?気のせいちゃう?」 「……」 憮然とする大地に、土岐はくすくすと笑う。 「いちいち細かいこと気にしとったら、大きなれんで」 「いいんだ。184pあったら十分だよ」 「…身長の話はしとらんのやけどな。…まあええわ」 話が進まない。 「で、なんだい」 やむなく自分から話の水を向けた大地に、土岐は一瞬ぱちりとまばたいてからはらりと笑 った。 「なんだかんだ言うといて、手ぇは貸してくれるんや?」 「手を貸せと言ったのはそっちだろ」 「たらたら文句つけるから、その気がないんやと思ったんや。…意外とお人好しやな、君 も」 「…用がないならもう行くよ」 「あ、待った待った」 さすがに土岐の声が少し慌てた。 「ほんまに聞きたいねんて、教えてや。…千秋が行きたい言うてる店があるんやけど、名 前だけではカーナビでは出てこんかってん。たぶん新しい店なんやと思う。携帯で検索か けても、口コミ情報が出てくるくらいで住所が出てこぉへん」 「…どれ」 差し出された店名のメモを見て、大地は、ああ、と言った。 「知ってる。…ちょっと待って」 言って、おもむろに財布を取り出し、中を捜し始める。ほどなく、ほらこれ、と差し出さ れたものはショップカードだった。表面に店名と電話番号、住所、裏面には地図も印刷さ れている。 「………時々、ほんまに、阿呆か思うくらい用意いいな、君。…まさかショップカードが 出てくるとは思わんかったわ」 「数日前にここの焼き菓子を患者さんからいただいて、おいしいおいしいって母が大騒ぎ してたから、機会があったら買いに行こうと思ってショップカードを取っておいたんだよ。 ……にしても、どうしていちいちけなすんだ、君は、人を」 「…けなした?…俺が?」 「けなしたじゃないか」 「何のこと……、…ああ」 本気で一瞬ぽかんとしていた土岐は、はたと気付いた顔でにやりと笑った。 「今、阿呆って言うたんを、けなされたと思っとう?」 「けなしているんだろう、現に」 ぶすくれる大地の頭を、ぽん、と土岐はうれしそうに叩く。 「けなしてへんよ。…親愛の気持ちがこもってんねん。親しなかったら言わん、ああいう ことは」 「…君の場合は、親しかろうが親しくなかろうが、ぽんぽん出てくるような気がするけど ね」 ちくりと指摘されて、微笑みながらも土岐は肩をすくめた。 「……君も、ほんま、嫌味な方向に頭ええな」 「ほめてくれてありがとう」 「…ま、確かに口癖やけど、…それでも心許してへん相手には言わんよ」 「…」 立て板に水の会話が一瞬途切れた。 「…あれ。目ぇ丸なった。もしかして、俺が心許す言うたからびっくりした?…案外かわ いいとこあるやん」 「…うるさいよ」 「照れ隠しに芸がないのはいただけんなあ」 「いただけなくて結構だよ」 「…どっちにしても、カードありがとう。行ってきたら返すわ。…お礼は、そうやな。… 君のお母さんにケーキ、でどうやろ」 「本当にそうしてくれるなら、ありがとう」 「ついでにワンコにも買うてきたげよか?」 「ケーキは食べないよ」 「甘くなかったら食べられるんちゃうん」 「モモに悪食を覚えさせないでくれ」 と、ふと、土岐がぽかんとした顔になった。 「……モモて」 本気で不思議そうに聞き返すので、大地も怪訝な顔になる。モモのことを誰かから聞いて、 提案してきたわけではないのだろうか。 「うちの犬だよ。名前は知らなかったか?」 「うちのて、…ほんまに犬、飼うてるん?」 「……は?」 ……えーと、…というと、つまり? 土岐と入れ替わりのようにぽかんとした大地に、笑いをこらえる顔で、土岐がさらりとと どめを刺した。 「ワンコて、君のこと言うたつもりやってんけど」 ………。 「…人を犬扱いするな!!」 「ははははは!!」 大地の叫び声と腹を抱えて転げ回る土岐の笑い声がラウンジにこだまする。どうかしまし たかとキッチンから八木沢が飛んできても土岐の笑いは止まらなくて、事情を説明できな い(したくない)大地はひたすら腹立たしく、それでいて妙にやるせなく。 結局、土岐が笑い収めるのには数分を要したのだった。