CALLING

ベッドサイドで携帯が鳴る。…上掛けからもぞりと手が出て、ボタンを押した。
「……もしもし」
寝ぼけたような声に応えるのは、きびきびと歯切れのいい友人の声だ。
「蓬生か?朝早くにすまん。見せたいものが手に入ったんだが、今日うちに来られるか?」
もそりと半裸の上半身を起こしながら、蓬生はあいまいにうなった。
「……あー、……うん」
「……」
電話の向こうで一瞬千秋が沈黙し、…そうか、連休か、とつぶやく。蓬生は眉をひそめて
唇だけで笑う。笑いながら、頭の中で必死に計算している。
「…昼過ぎ、やな」
「無理するな。…俺が榊に殺される」
千秋は少し笑ったようだ。
「どうせ、神戸に戻る予定は明日だったんだろう。明日でいい。そのかわり、土産にしゅ
うまい買ってこいよ。…小田原でかまぼこでもいいけどな。じゃあ」
一方的に話してふつりと切れた電話をまじまじと見つめる蓬生に、傍らから声がかかった。
「…東金か?」
まだあまり目が覚めないという顔で大地が目元をこすっている。
「…見せたいもんが手に入ったから、来い、て」
ふと、大地の瞳が晴れた。……自分の携帯を枕元に探し、時間を確かめて苦笑する。
「意外と朝が早い奴なんだな」
「もう七時やろ。…普通や」
「横浜に行くって、言って出てきた?」
「言うてへん、けど、土産にしゅうまい買うてこい、て。かまぼこでもええて。小田原の」
ばればれや、と蓬生は嗤う。
「…神戸にしゅうまいの土産買うていくんもなー……」
ぶつぶつとつぶやく蓬生は大地に背中を向けている。頬杖ついて、大地はその背中をじっ
と見つめる。
「…時々思うんだけど、あれだけ察しのいい奴とずっと一緒にいるって辛くないか?」
「君に言われたないわ」
背を向けたまま、蓬生はふっと吹き出した。
「何でかしらん、俺が好きになる子ぉは皆勘がいいんやもん。しゃあない、慣れたわ。…
榊くんこそ」
「俺?」
ようやく蓬生が大地を振り返った。
「あそこまで絶望的に鈍い子の隣におって、しんどなったりせんの?」
大地はにやりと笑った。
「…愛があるから大丈夫」
「……。ぬけぬけと」
ふはっ、という声で蓬生は笑った。
「俺、全然似てへんのになあ。同じとこなんて眼鏡かけてることくらいちゃう?」
「俺は面食いなんだ」
……。
「……あー、そう」
それはどうも。蓬生はこりこりとこめかみをかいた。大地は目をすがめるようにして笑っ
て、蓬生がまだ握ったままだった携帯を取り上げ、ソファに向かってぽいと投げる。
「ちょっ…」
「…鈍いところも似てるよ。……気付いてないだろう、蓬生」
いつも名字で呼ぶ大地がふと、低い艶のある声で名を呼んだのでぞくりとする。
「……本命の恋人からの電話を、浮気相手の前で披露するものじゃないよ」
言うが早いか、かみつくようなキスが降りてきた。
…恋人ちゃうわ。なりたいけどなられへんねん。…知っとうくせに。
途中までは、大地の強引さにむっとして、反論を頭の中で組み立てていた蓬生だったが、
抱きすくめてきた大地に帰るんだろとつぶやかれたとたん、何も言えなくなる。
千秋と恋人にはなれない。大地を浮気相手だとも思っていない。
けれど確かに自分は帰るのだ。千秋が呼んでるから、という理由で。
大地が、言わなければわからないくらい鈍い人間だったらどうとでも冗談でごまかせただ
ろう。けれど、蓬生が昼過ぎとつぶやいたその一言だけで、彼が千秋の元に帰ることを勘
づく大地に、ごまかせることは何もない。
さんざんに唇を蹂躙した後で、不意に大地がさっぱりと蓬生の身体を離し、身を起こした。
「神戸に昼過ぎなら新横浜は九時だな。…送っていくよ。土産を買うなら今出てもぎりぎ
りかもしれない」
きびきびした動きで手早く身支度しながら、決して蓬生を振り返らない大地の背中に、ま
だ上掛けを握りしめて蓬生は呼びかける。
「……大地」
その一声に、ぴたりと大地の動きが止まった。
「……今、俺を名前で呼んじゃいけない、土岐」
肩越しにほんの少しだけ振り返る、横顔には笑み。けれど、瞳は蓬生を見ない。
「……何で?」
「…東金がいる前で、俺を名前で呼んだことは一度もないだろう。……ここにはもう、東
金がいるから」
蓬生は、冷たい手で心臓に触れられたような気がした。
現実の千秋はここにはいない。けれど、あの電話一つで蓬生の心の中には千秋の姿が呼び
覚まされた。…大地はそれを言っているのだ。
蓬生は、つきたくて仕方がないため息を呑み込んだ。大地の仕草を真似るように、彼を見
ずに目を伏せて笑う。
「……嫌になるわ、頭が良すぎて。……榊くん」
ぽつり、蓬生が付け加えた一言に、ようやく大地が身体ごと蓬生に振り返った。微笑んで、
手をさしのべて。
「ほら起きて。…支度して」
「…あと一時間」
蓬生はベッドから出ない。まっすぐ大地を見ている。
「……土岐?」
「神戸に昼過ぎや。…一時に着いたらいい。新横浜には十時でも間に合う。…まだあと一
時間ある」
大地は一瞬困った顔をした。…それからゆっくり首を横に振り、身支度のすんだ格好でぽ
すんと蓬生の傍らに腰掛けた。
「…みやげは」
「…そんなん」
何とでも、と言いかけた唇がふさがれる。触れるだけで、そっと離れて。
「…土岐はずるいよ」
初めて大地の声に痛みが混じった。その首に腕を絡めて大地の身体を引き寄せながら、蓬
生も言い返す。
「こんな時に物わかりがいい榊くんの方がよっぽどずるいわ」
帰るなとなじられる方が楽だ。物わかりよく優しくされる方がつらい。
「仕方ないだろ。…まだあとまる一日は一緒にいられるはずだったのに、いきなり帰るっ
て言われたんだから。…少しくらい意地悪させてくれ」
大地の告白に、蓬生は笑った。その肩を抱いて、頬に頬を寄せて。大地がせっかく整えた
身なりをさっさと乱しながら耳元につぶやく。
「しょうがない、許したげよ。…惚れた弱みや」

さよならまで、あと一時間。