ファースト・ワルツ


律はここのところずっと考え込んでいる。大地がそのことに気付いたのは二年生の三学期
が始まった頃だったが、もしかしたらその前からずっと考え込んでいたのかもしれない。
…相談はされていないが、考えごとの中身も、おおよその予想はついた。おそらくは、卒
業生を送る会のコンマスと、指揮者のことだ。

星奏のオケ部は、おおまかな年間スケジュールがだいたい決まっている。
新入生歓迎を兼ねた五月の定期演奏会、七月〜八月の学生音楽コンクール、十一月の文化
祭、そして二月の卒業生を送る会。それ以外に小さい演奏会やボランティアコンサートへ
の参加が入ることもあるが、部全体としてのメインはこの四つだ。
中でも、春の定演と秋の文化祭の比重が大きい。この二つに比べれば、夏のコンクールは
結果次第という面が大きいし、卒業生を送る会は例年二〜三曲を演奏するにすぎず、練習
のボリューム的にはミニコンサートと大差なかった。…だが、オケ部の執行部にとって、
卒業生を送る会は、演奏量ではなく別の意味で重要な意味を持っていた。
文化祭までは三年生部員が参加するが、そこで三年生は完全引退する。文化祭でお披露目
された二年生の新執行部が、初めてオケ部として企画するステージが卒業生を送る会だ。
曲目選定、コンマスなど、次の一年のオケ部を印象づける大切なステージだ。…だからこ
そ、何かと悩ましい。………今年は特に、だ。

「…」
大地は息を吐き、唇を少し噛んだ。
夏のコンクールでけがをした律が、完治もしないのに長時間の練習を続けて腱鞘炎を発症
させたのが、文化祭後の十一月。絶対安静の一ヶ月を過ごして、小康状態を取り戻した律
は、実技の授業や部のパート練習には様子を見ながら復帰していた。
授業の方がどうなっているのかは、普通科の大地には知るよしもないが、病気のことを報
告されている実技の担当教師は、律に無茶をさせないよう何かとストップをかけるらしい。
部では大地が気をつけている。だからまだ律は、復帰してから大曲を一曲弾ききったこと
はないはずだ。
送る会のステージでは、一曲で終わりというわけにはいかない。例年通りなら大きい曲を
二曲、そしてアンコール用の短い曲も一曲仕込んでおかねばならない。…都合三曲を連続
で、律がコンマスとして弾ききったら、彼の腕にどれほどの負担になるか、……医療に関
しては門前の小僧に過ぎない大地でも、容易に想像はついた。
だから正直、大地は、律にコンマスを諦めてほしかった。だが、律がそれをすんなり受け
入れるとは思えない。律はオケ部の新しい部長で、何よりヴァイオリンの実力はオケ部の
中で群を抜いている。律の代わりに、…いや、律をさしおいて、今オケ部のコンマスを務
めあげられるヴァイオリニストは誰かと問われたら、大地にも即答はしかねた。大地でも
迷うこの状況では、律本人はなおのこと、自分がコンマスをと考えるだろう。
問題はもう一点。指揮者だ。
文化祭までは、大学部で指揮を専攻すると決めているピアノ専攻の三年生が、オケ部員で
はないながら、毎回指揮を務めてくれていた。彼が参加するまでは、顧問の先生がずっと
指揮棒を振っていたらしい。だが、内部進学とはいえ三年の先輩は卒業してしまうし、顧
問は体調を崩して入院中だ。誰に指揮を依頼するか。…これも少しだけ、悩ましい問題だ
った。

この二つの懸案に関して、大地には一つプランがあった。
…それは、律が指揮者を務める案だ。
律は全体がよく見えるタイプで、耳もいい。指揮は素人だが、部のリハーサルでは暫定的
に指揮者を務めてもきた。だから、少し練習すればすぐに上達するだろう。それに、指揮
は利き腕に関係なく右手で行うものだ。律が痛めたのは左手だが、指揮するという行為に
おいては、左手への負担は軽い。大曲二曲に小曲一曲なら、何の問題もない。
「……」
律も、その案に気付いているのではないか、と、大地は思う。もしかしたら、大地がその
案を思いついていることにすら、勘づいているのではないか。
……なぜなら、送る会のこの二つの懸案について、律は曲目の相談を大地に持ちかけたっ
きり、後のことについてはだんまりだからだ。
本当なら、この件を共に悩み、議論を戦わせ、共に解決に導くべきは副部長の大地の役割
だ。部長が一人で悩むような問題ではない。だが、律は大地にまったく相談を持ちかけて
こない。それは、大地の持つ結論が、律からヴァイオリン演奏を取り上げるものであると、
彼が知っているからではないだろうか。
……ならば、大地の方から声をかけて、律に提案すれば良さそうなものだが、大地もそれ
をためらっていた。
律と話せば、自分は必ず、律にコンマスではなく指揮をするよう勧めてしまうだろう。
だが、そうすべきではないと、大地は知っていた。
大地から律を誘導し、説得するのではなく、律が自分で納得したことでなければならない。
律の腕がこの状態だからこそ、無理に説得してはならない。もしも無理を通せば、必ず律
の音は歪む。音楽やオケ部に対する思いも揺らぐ。……そんな気がした。

……歪んだ律の音など、聞きたくはなかった。

…日、一日と時間は過ぎる。あたりさわりのない会話は交わしつつも、一番大切なことに
は口を閉ざすものだから、自然、大地と律の会話はぎくしゃくしたものになっていた。
大地のそれは、言いたいことをこらえているからだが、律はどちらかというと、その件に
ついて貝のように口を閉ざして、大地に話しかける隙を与えないように頑なになっている
ように見えた。
とはいえそろそろ、部の執行部として、部員に今回の体制について提示や説明をしなけれ
ばならないぎりぎりの刻限が迫ってきている。

「………」
大地はもう一度腹の底から吐き出すような息を吐いて、流していた音楽を止めた。
聞いていたのは、去年の文化祭のステージの録音を、CDに落としたものだ。
今回のコンマスや指揮者選びの参考にならないかと聞き始めたのだが、聞いているとつい
つい律の音を探してしまうし、この頃に気付いて無茶をさせなかったら、律の腕はあんな
ことにはなっていなかったのではないかと思うと、後悔に胸を灼かれる思いがしていたた
まれず、吐き気すら覚える。
のろのろとそのCDをケースに収め、きちんと整理してある棚に片付けて、何か別の曲を
と物色していた大地の指が、ふと止まった。
「……あれ。……このCDなんだっけ。…ラベルがない」
演奏会の音源は、音響を受け持った担当者が希望者分CDに焼いてくれる。そのときラベ
ルもつけてくれるから、オケ部の作った音源で白いままのCDはないはずなのだが。
変だなと思いながら、大地は何気なくそのCDをかけてみた。……そして、流れてきた曲
にはっとする。
明るく弾むようなワルツのリズム。どこかぎこちない演奏。
「……これ…」
覚えている。…忘れるわけがない。
それは、大地達が一年生の秋、市のイベントに参加したときの演奏だった。


毎回オケ部として参加しているそのイベントに、フルオケで一曲演奏するだけでなく、学
生音楽コンクールのソロの部で優勝した律にソロで一曲という依頼があったとき、律はこ
う言った。
「一年生だけで、アンサンブルを一曲やらせてもらえませんか」
……思えば、ソロコンで優勝したその瞬間からずっと、律の意識はアンサンブルに向いて
いたのだろう。自分の力で作り上げるアンサンブルに。…だからこそ、上級生と一緒のア
ンサンブルではなく、一年生だけのアンサンブルを望んだのだと思う。
その提案は、意外に快く主催者に受け入れられた。
焦ったのは律以外の一年だ。コンクール向けの選抜で全体のアンサンブルに選ばれる実力
の持ち主はともかく、大地など、音を出すのがやっとという状態からようやく脱却したと
ころだ。文化祭のために、後夜祭のワルツのぶんちゃっちゃをひたすら練習しているレベ
ルなのに、律は一年生全員でと言ったのだ。
「…俺は、抜けるよ、律」
一年生が集まってのミーティングの時、大地は真っ先に手を上げた。一年生にヴィオラは
大地ともう一人の女子生徒だけ。二〜三年の先輩と一緒に演奏できる文化祭の曲に参加す
るのとはわけが違う。
すると、大地の隣で同じヴィオラの子も手を上げた。
「榊くんが参加しないなら、私も」
大地は慌てた。
「いや、俺は初心者だから外れるんだ。斉藤さんが外れることはないよ」
しかし、大地を見返す少女の瞳は淡々と落ち着いていた。
「でも、ヴァイオリンやチェロとのバランスを考えたら、ヴィオラが私一人じゃ無理よ。
それなら、ヴィオラ無しの編成を組んでもらった方がいい」
「いや、それは…」
「それはなしだ」
そのとき、きっぱりと律が割って入った。
「斉藤さんにも大地にも参加してもらう。でないと、俺たちの音とは言えない」
「…俺たちの音?」
「そうだ。俺たち全員で作る音だ。初心者も上級者も、皆同じ一年だ。今の俺たちの音で
ステージに上がりたい。一緒に音楽を作ってくれないか」

……その瞬間、その場にいた全員が気圧されたと思う。律の眼差し、ステージしか見えて
いない律の瞳。彼がこだわる、アンサンブルというもの。初心者もソロコン優勝者も、同
じ一人の演奏者だという意識。
…大地達は、その熱に突き動かされたのだった。

「…斉藤さん」
ひそりと大地が顔を向けると、彼女も苦笑気味に大地を見ていて、ゆっくりと力強くうな
ずいた。
「…参加するな?」
大地たちのほぼ無言のやりとりをじっと見ていた律が、念を押すように問いかける。大地
は腹をくくる気持ちで肩をすくめ、大きく一度うなずいた。
「…ああ、参加する。……その代わり、易しい曲にしてくれよ」
律は珍しく、にやりと笑った。
「…そうだな。……ワルツはどうだ?……弦楽器は後夜祭向けにかなりいろんなワルツを
練習しているだろう?……同じようなものだと思えばいい。後夜祭用の曲は全部弦セクシ
ョンのみの構成だから、管セクションが参加している譜面をみんなで捜そう」


そのときの音。今聴くと、自分たちの未熟さがありありと見えて、よくもまあこれを、ボ
ランティア参加とはいえ市のイベントで使ってくれたなと思う。自分の音が判別できるた
びに、ひゃー、と叫んで耳を塞ぎたくなりながらも、大地は気付いていた。

−…俺たちの音。

送る会で見せるべきはこれだ。三年生を送り出し、名実共に大地達がオケ部の骨となるこ
とを披露するには、この自分たちの音でなくては。
「…そのために必要なのは、律の……」
口に出しかけて、大地は一瞬戸惑い、…けれど、うん、とうなずいた。…自然と口元がほ
ころんでくる。
「…っ」
見上げた時計はまだ七時過ぎ。菩提樹寮に押しかけても誰も何も言わない時間だ。両親は
まだ二人とも診療から戻ってきていない。大地はCDをデッキから取りだし、ダウンジャ
ケットを羽織りながら家を飛び出した。


通い慣れた寮への道を走って門から飛び込もうとしたとき、大地はちょうど寮から出てき
た人物と鉢合わせしそうになった。
「…っ、ごめ……、……律!」
「……大地…!」
とっさに飛び出してきた体の大地とは違って、律はきっちりとコートを着込み、いかにも
今から大事な用事で出かけるという風情だった。
「…どこか、…出かけるところか?」
思わずおずおずと大地が問いかけると、律は無言でうなずいた。
「…そうか。…じゃあ出直すよ」
「いや」
くるりと向きを変えた大地の腕を、律が掴んだ。
「出直さなくていい。……大地の家へ、行くところだった」
……っ。
はっ、と肩が震えてしまう。ゆっくり振り返ると、律は真面目な目で大地の瞳をのぞき込
み、じっくりとひとつうなずいて。
「……話がある。……ここでは寒いから、よければ俺の部屋へ」


誘われるがまま入った律の部屋で、大地は遠慮なく彼のベッドに腰を下ろした。元々そう
広い部屋ではなく、他に座るところと言えば勉強机の椅子か床しかない。大地に向き合う
形で律は勉強机の回転椅子に腰を下ろす。
「…大地も、何か話があって俺のところへ来たんだろう?」
「ああ。…でももしよければ、律の話を先に聞くよ」
「……そうか」
律の冷静な顔は全く動揺を見せていないが、いざとなると勇気がいるのだろう、喉を小さ
くこくりと鳴らした。
「…送る会の、指揮者のことなんだが」
ポーカーフェイスの律の顔は、他の誰かにはいつも通りに見えただろう。だが大地には、
律の緊張が手に取るようにわかった。だから、促すように微笑んで、うん、と相づちを打
つ。…ほ、と、律の肩が少し下がった。
「…音楽科の先生に相談して、OBや大学部の指揮専攻の先輩を当たっていただこうと思
っている。…時間がないから、明日にも依頼をしたい」
大地は否定も肯定もせず、そっと律の瞳をのぞき込んだ。
「…コンマスは?」
「……」
律は一瞬黙ったが、
「……俺が」
大地の目をまっすぐに見返して、言った。大地は答えに否定も肯定も返さず、代わりに問
いを重ねた。
「……春の定演は?」
「…っ」
律は、大地がまず否定してくると思っていたのだろう。先送りされた反応に少し困惑した
顔ながら、
「……指揮者との相性が良ければ、指揮は同じ人に頼む。…コンマスは、春も俺が務めた
い」
惑わずに淡々と自分の考えを言った。
大地はまっすぐ律の顔を見たままその答えを受けて、かすかに首をかしげた。
「……俺の考えも、言っていいかな」
「……どうぞ」
律は何でも来いと少し構える顔になった。…その意気込みっぷりに苦笑をかみころし、大
地も真面目な顔を作る。
「指揮者に関しては、その案に俺も賛成する。コンマスについては、……春の定演のコン
マスに関しては、今のところ白紙にしておいてほしい。送る会のコンマスを律が務めるこ
とについては反対しない。……ただし、週一回のペースで必ず病院の診察を受けることと、
演奏中に俺が違和感を感じてストップをかけたら必ずそれに従ってもらうこと。…この二
つが条件だ」
そこで一息いれて、大地はすぐに言葉を続けた。
「…春の定演のコンマスも、律が務めるのがベストだとは思う。でも、まだ、腕の状況が
わからない。春の定演は送る会よりも曲目が多い。…送る会をこなして、医者の判断を仰
いで、…それから決定すべきだ」
律は、大地の言葉をまばたき一つせずに目を丸くして聞いていた。
「……どうかした?」
大地が静かな無表情を崩し、いつもの笑顔で問いかけると、律ははっと肩をふるわせてか
ら、ようやく大きな瞬きを一つした。
「……大地には、もっと強く反対されると思っていた」
ふ、と思わず大地は笑った。
「…どうして」
「……大地は、俺に指揮者をさせたがっていると思っていた。…指揮は、右手にこそ負担
はかかるが、左手には余り負担がかからない。ちょうど決まった指揮者もいない。……だ
から」
「……そうだね。…わかってるじゃないか、律」
律ははじかれたように大地を見た。誘導された、と思ったのだろうか。どこか傷ついたよ
うな目を見て、大地はちがうよと首を横に振った。
「ついさっきまではそう思ってた。…律は指揮者をすべきだ、今回の送る会ではコンマス
を務めるべきじゃない、ってね」
でも考えが変わった。…そう言って、大地は律の膝に、持ってきたCDを静かに置いた。
「……これは?」
「俺たちの初めてのアンサンブル」
大地のその説明で、律もすぐそれが何の音源か気付いたらしい。
「…あれか」
「そう」
二人、穏やかに笑い合う。
「最近聞いたか?」
「ついさっきね」
「どうだった」
「目も当てられないね」
大地の感想に、律はぷっと笑った。
「今聴くと、聴けたものじゃないね。……でもこれが俺たちの原点だ。…それははっきり
伝わってくる演奏だった」
誰もが必死だった。律ですら。
「…卒業生を送る会は、俺たちが作るオーケストラ部を卒業生に、…いや、星奏学院全体
に伝える場だ。その場に、律のコンマスなしには臨めない。……この演奏を聴いて、しみ
じみとそう実感した」
言いながら大地は、自然とうつむく自分の顔が、じんわりと泣き笑いのように歪むのを自
覚していた。
「…正直、そのことで律の腕にどれほどの負担がかかるのかを考えると、俺は怖い。…や
っぱり止めたいと思う気持ちも、消しきれない」
律は言葉なく、ただ何度か大きくまばたいた。
「……でも、……律の音は必要なんだ。…どうしても」
アンサンブルにも、大地にも。まっすぐに、歪まずに。きれいなまま在る律の音が。
こぶしを握り、震える大地の手に、律がそっと手を伸ばした。なだめるように上から手を
重ねられ、大地ははっと顔を上げて律を見る。
「……ありがとう」
律は静かに笑っていた。
「……大地にそう言ってほしかった。……俺からごり押しするんじゃなくて、大地に俺の
コンマスを認めてほしかった」
……ずっと待ってた。
そう吐露したとたん、ほろりと、一粒だけ律の瞳から丸い涙の粒がこぼれた。
「…律っ?」
「…いや、…すまない。……ほっとしたみたいで」
涙を見せたのはその一粒だけで、律はすぐにいつもの冷静さを取り戻した。
「他の誰が納得しなくても、認めてくれなくても、…部長として意見を通すつもりでいた。
……ただ、大地の承認だけはどうしてもほしかった。同じアンサンブルを作っていく立場
として、大地が納得してくれることだけはどうしても必要だと思っていた。……大地が認
めてくれないなら、他の誰かをコンマスにすることもやむを得ないと」
「……」
「……大地が、俺を選んでくれることを、願っていた」
その瞬間、大地は思わず律を掻き抱いていた。
「……っ、俺は、律を、……律の音を、……でも」
大好きで、聴きたくて、……でも大切で、守りたくて。
うまく言えなくて、ただ唇を噛む。どうしようもない、ジレンマ。
それは律も同じだったようだ。
「わかっている。こんな状況でさえなければ、大地も迷わずにいてくれただろうというこ
とも、大地が迷うのは、俺の腕を思えばこそだということも。……そもそも、俺の腕がこ
うなったのは俺自身の不見識と失態のせいだ。大地との約束を守らず、信頼を裏切ったか
らだ。その俺が、大地が自分から俺を推挙してくれるようにと願うのは、ただのエゴかも
しれないということも、…全部わかっていたから」
いつになく雄弁なのは、律が言わなくてはいけないと思うことが多すぎて、むしろ混乱し
ていることの表れだと言えた。
大地の腕の中に収まったまま、訥々と、大地に聞かせると言うよりは一人言のようにこぼ
れでる言葉。
……大地に言えることは、たった一つだった。
「見せよう、律。…俺たちのアンサンブルだ。……俺たちが作るアンサンブルだ。きっと
あの頃よりはいいものが作れる」
けれど、あの頃から一つだけ変わらないもの。
「律の音を芯にして強くなる、…俺たちのアンサンブルだ」
返事は、大地の胸でこすれる律の額だった。縦に一度、うなずいた、その動き。熱はじわ
りとそこから広がり、指先まで熱くなった。


卒業生を送る会当日は、晴天に恵まれた。
「今日はヴァイオリンがよく響きそうだ」
まぶしそうに空を見上げて、律がつぶやいた。
「そうだな。今日の音はきっと、天に届くよ」
笑って。ぽんと肩を叩いてから、丁寧にテーピングした律の手首に、大地は自分の手を添
えた。女性をワルツを誘うときのように、そっと下から受け止めて。


「…行こうか、律。……まず一曲目、ワルツから」