半月

とんとん、と軽く戸を叩く音に、道臣は確認の手を休めて振り返った。手燭を向けると、
戸口に風早が立っている。いつもの、どこかすまなそうな穏やかな笑みを浮かべて、彼は
促すように少し首をかしげた。
「もう休みませんか、道臣。ずいぶん夜も更けましたよ。月もほら、すっかり傾いた」
指摘されて振り返ると、先刻までは窓の外に見えなかった月が、傾いてその姿を覗かせて
いる。
月の出が早い半月とはいえ、西向きで低い位置にあるこの窓からはっきり見え、その先が
山の端にかかりつつあるということは、確かに日没からかなり時間がたっているというこ
とだ。
道臣はぐるりを見回して小さくため息をついた。あと少しでけりが付くのだが。
と、まるで彼の考えを読んだかのように、するりと風早が中に入ってきて、道臣の手にし
ていた竹簡を手に取りにこりと笑った。
「きりのいいところまでお手伝いしますよ。きりがついたらすぐ片付けてもう寝てくださ
い」
「すみません」
数を数え、足りないものを書き付け、補充できそうな心当たりをついでに書き込む。二人
がかりで取り組むとやはり進みは早い。風早の手が早いこともあって、たいした時間をか
けずに道臣が予定していたところまで片付いた。
とんとん、と右の拳で軽く両肩を叩いて、道臣はすまなそうに笑った。
「助かりましたよ、風早」
「いいえ」
少し微笑み返してから風早は眉を曇らせた。
「あなたに兵站の管理を任せきりにしている俺たちが言えることではないですが、…一人
で抱え込まないでください、道臣」
道臣は、風早がそう言うことはわかっていたかのように、うんうん、と二度深くうなずい
た。
「わかっています。夕方までは布都彦に手伝ってもらいましたよ。いざというとき私が不
在でも、彼が補給場所の見当を付けることが出来ます」
そういう意味ではなく、と口を開きかけた風早を道臣は片手で制し、言葉を続ける。
「それに、私はこの仕事が楽しいんですよ。…やりたいんです」
…私はいつも中途半端でした。
穏やかに笑っているのに、道臣の声は苦かった。
「何もかもがほどほどに出来て、けれど何かをやり通すことはなかった。…だからこそ、
何かをやり通してみたいのです。やり通せば何かが見えてくる気がする」
ふふ、と今度ははっきり苦笑する。
「どうせなら他のことをやり通せば、とは私も思うのですが」
目を伏せて苦笑している彼は気付かなかっただろうと思う。風早の瞳が一瞬、瞳孔が縦に
細長い獣の目になったことを。
「あなたは中途半端なんかじゃありませんよ」
…そう、道臣は既に一つ、ちゃんと己を貫いている。謀反人の弟と白眼視されたであろう
布都彦を軍に置いて守り抜いたではないか。
だが、敢えてそれは指摘しない。代わりに一言だけ。
「中途半端なのは俺の方だ」
人になれず、獣でもいられず、神にもなりきれない俺の事実を、あなたが知ることは一生
ないだろうが。
「…慰めてくれてありがとう、風早」
道臣はおずおずと応じた。
「けれど、あなたのように完璧な人に自分の方が中途半端だと言われては、私は立つ瀬が
ありません」
「……」
決して慰めではないのだが、言葉を重ねることは彼を傷つけるだけだと知っているから、
風早はもう何も言わずにただ首を振る。
「…もう休みましょう。…明日も明後日も、まだこの戦いは続くのですから」
戦いが終われば、また時計は元に戻されるかもしれない。まるで砂の城が波にさらわれる
ように。
それでもまた彼は、…千尋は、那岐は忍人は、布津彦も遠夜もサザキもアシュヴィンも、
…柊も、皆。
改めて砂を固め始めるのだろう。新しい砂の城を築こうとするだろう。


月は、日一日と満ちていく。どうかいつか、満ちたまま欠けない月が彼らを照らす日が来
るようにと、風早は願う。これ以上時を戻すことなく、彼らが前へ、未来へ進んでいける
ように、と。
……たとえその場所に、己が立つことはなくとも。