早起き鳥 その日は日曜だったが、律はいつもの時間に目を覚ました。冬の朝はまだ暗い。もう朝練 もないのだから、もう一度布団にもぐってもいいのだが、律はそうせずに手早く着替え、 少し多めに着込んで菩提樹寮の屋上へ向かった。 白い息を吐きながら物干しを越えて、屋根のふちに近づく。緑濃く茂っていた木々はすっ かり葉を落とし、夏の間は見えなかった道の様子がうかがえる。 とはいえ、この早暁、まして休日、道行く人もないだろうと、朝焼けに染まりつつある東 の空に顔を向けたとき、ふと、かちかち、と規則的な音が近づいてくることに気付いて、 律は改めて眼下に目を向けた。 暗くてよく見えないが、その音はどうやら犬の足の爪がアスファルトに触れてたてている ものらしかった。しつけのいい犬と見えて無為に吠えず、鳴き声はしないが、近づくに従 ってはっはっという息づかいは聞こえてきた。 暗さに慣れた目がやがて枝の隙間に見つけたものは、元気の良さそうな豆柴とそのリード を引く長身の飼い主の姿だった。 ……大地。 呼びかけようとして、ふと戸惑う。まだ朝は早い。どのくらいの声ならば、ここから大地 に届き、かつ周りの迷惑にならないのだろう。 律が迷っている間にどんどんモモは近づいてくる。このペースではこのまますぐに通り過 ぎてしまうと慌てたとき、…モモはふと足を止め、寮の塀の匂いをかぎ始めた。 「…!」 見知らぬ犬の匂いでもついていたのだろうか。ずいぶんと熱心だ。 「モモ?」 大地が優しく促しても動かない。仕方がないなと肩をすくめた大地の顔は、モモに向けら れうつむいていて、高みから見下ろす律にはうかがいしれないが、きっと穏やかに笑って いるのだろう。……そんな気がした。 そしてはたと我に返る。大地が足を止めている今なら、声をかければ届くはずだ。 「…」 呼びかけようと息を吸い、律の言葉が声になる、その寸前。 まるでしめしあわせたかのように、大地がふと上を見上げた。 「……!」 律を見つけて、ぽかんと見開かれた瞳。驚きで開いた口。…どちらもが、優しくやわらか くほころびはじめ、へにゃりとした笑顔になる。 「…律」 かすかな声が、はっきり届く。 「おはよう。…早いな」 「…大地こそ」 きっと自分の顔も、大地のそれと同じくらいやわらかいのだろうと思いながら、律は少し 上擦った声を出す。 「散歩か?」 「見ての通り。律は?」 問うておいて、答えを聞く前に大地はああ、と東の空を仰いだ。 「朝焼けか」 空が輝きはじめる。まぶしそうにその深緋色を眺めてから大地は律に視線を戻す。 「…ところで、これからモモを連れて行く公園も、東の空がよく見えるんだけど」 律は笑った。 「二分で降りる」 「モモが動けば門で待ってる。まだ動かないようならここにいるよ。急がなくていいから、 足もと気をつけて」 心配症の大地の忠告は、寮内に戻るドアを開けながら聞いた。 階段を下りながら律は思う。 会えたらまず、モモの頭を撫でてやろう。…あの場所で足を止めてくれてありがとう、と。