星降る夜 パーティー会場の喧噪も、この中庭にまでは届かない。灌木で作られた小道の先にベンチ を見つけ、俺はそっと腰を下ろした。 ぼんやりと空を見上げると、降るような星だった。星を眺めて、俺は待っていた。 パーティー会場をこっそり抜け出すとき、大地がちらりと俺を見て、行き先を確かめるよ うに視線が背中を追いかけてくるのを感じていた。 …大地も俺と二人きりで話したいはずだ。俺も誰にも邪魔されずに話がしたい。だからこ こに来た。確信があった。大地は必ずここに来る。 だから俺は待った。 望みが叶うのに、さほどの時間はかからなかった。 小道の砂利を踏む音が、ゆっくりと何かを確かめるように曲がり角の一つ一つで立ち止ま りながら近づいてくる。あと少し、と思ったとき、灌木の向こうに見慣れた姿が現れて足 音が止まった。 「…パーティーの主役がこんなところにいちゃいけないな」 静かに笑って一言もらし、大地はゆっくりと俺の方へ向かってきた。俺は眼鏡を押し上げ、 肩をすくめる。 「今日のパーティーの主役は小日向だ。俺じゃない」 大地は指の関節をあごに当て、くっと笑った。 「…確かに。四方八方から話かけられて目を白黒させてるよ。またそれが他校の野郎ども ばかりときているんで、響也が番犬よろしくずっと貼り付いてぐるぐる威嚇してる」 番犬の一言に俺も笑った。たった一匹の子羊に、狼は十匹近い。さぞ響也も気が休まらな いことだろう。 大地は俺をうかがうように見て、小さく首をかしげる。 「律はいいのか?…ひなちゃんの側についていなくて」 俺は一瞬きょとんとしたが、すぐに思い出す。大地は、俺が小日向のことを好きだと勘違 いしているのだ。 苦い笑いを押し殺し、俺は首を横に振った。 「響也がついているなら任せる。小日向も、あれで見た目よりはしっかり者だ。心配はい らない」 「…そうか」 そうだな、と大地もうなずく。その優しい瞳がかすかに痛みを含んでいる。俺は唇をかみ、 話題を変えた。 「それより、大地と二人で話したかった。…ただ、あそこは少し騒がしすぎて」 「…確かに、そうだな」 「だから、会場を出たんだ。…大地なら、俺が消えれば気付いてくれるかと」 言いながら俺は、自分の甘えっぷりが今更ながら恥ずかしくなった。俺は完全に、大地な らきっとこうしてくれると信じこんでいる。…実際にこれまでずっと、大地は俺が何を言 わなくても、俺が願うことに気付いてフォローするように行動してくれた。俺はずっとそ のことに甘え続けていた。 だが、やっと気付いた。俺は、その事実に甘えすぎてはいけなかった。俺の甘えが、こう して大地を傷つけている。 大地は、うん、と痛みの残る目で静かにうなずいた。 「律がもし、席を外そうと俺に話しかけてきたら、ハルあたりが見とがめて、二人そろっ てどこへ行くのかとかなんとか、うるさかっただろうな。さりげなく会場を抜け出してく れて正解だったよ。……それに、俺も律に話がある」 俺はまっすぐに大地を見た。大地もまっすぐ俺を見返してきた。 「…大地を立たせたままじゃ話しにくい。…座らないか?」 俺の傍らを示すと、大地は素直にベンチに腰掛けた。…それで、と彼が口を開く。その機 先を制するように、俺は話し出した。 「指輪を、渡そうと思っていた」 大地の肩がはっと震える。俺の左手にはまる自分の指輪を見て、小さく眉をひそめ、いや、 と彼は首を横に振った。 「いいよ、律。…そのまま持っていてくれ。…律に持っていてほしいんだ」 ちがう、と俺は言おうとした。だが大地は俺に何も言わせまいとするかのように、強い声 で俺に先んじた。 「俺は律が好きだ」 …俺は、息を呑んだ。 「初めて会ったときから今まで、…今も、ずっと」 一瞬の間。 俺がはっと我に返り、何か言おうとするよりも早く、また大地が堰を切ったように話し始 めた。 「男からこんな告白をされたら気持ち悪いだろうってことも、そもそも自分には見込みが ないってこともわかってる。何も言わずにこのまま卒業する方がいいことなんだと、ずっ と自分を抑えてきた。……だけど、駄目だった。言わずにいたら、もしかしたらと思って しまう。かすかな希望を捜してしまう。そんなことはありえないのに、そうあってほしい とみっともなくねだりたくなる」 だから。 「頼む、律。…こんな告白をして驚かせておいて、言えることじゃないが、…俺には何の 希望もないんだと、はっきり言ってくれないか。律の口から聞ければ、俺はあきらめられ る」 言い切って、大地は俺を強い瞳で見つめた。俺は、大地の言葉のあまりの内容に、笑いた いような怒りたいような泣き出したいようなぐちゃぐちゃの気持ちになって、どんな顔を していいのかわからなくなってしまう。 何も言わずに、あきらめるつもりだったのか。 …告白しても、あきらめてしまうつもりなのか。 …ぎゅっと、目を閉じた。 一つ息をする。目の前で、大地が短く息を吸うのがわかった。死刑宣告を受ける気分なの だろう。 …大地は馬鹿だ。あんなに頭がいいのに、他のことなら人の感情にも聡いのに、どうして 一番大事なことだけ、何もわかってないんだ。 俺はもう一度目を開ける。大地はまだ俺をじっと見つめている。俺はその瞳を見つめ返し、 「…目を、閉じてくれないか」 頼んだ。 大地は素直に目を閉じる。その大人びた顔をつくづくと見て、俺は小さく息を吸う。 「…」 大地は馬鹿だ。だけど、俺は、大地がどんな馬鹿なことをしても、どんなに嫌なところを 見せたとしても。 「好きだ」 短くつぶやいて、…驚きでひゅっと息を吸い込んだ大地の唇に唇を押し当てる。手はポケ ットを探り、あの指輪を取りだして、大地の左手の薬指に押し込む。第一関節にすら入ら なくて、少し笑った。 「………り……」 唇を離すと、大地は夜目にもはっきり赤い顔でうろたえていた。俺は笑って、…さっき指 輪を押し込んだ大地の左手を取り、彼に見えるように持ち上げる。…王冠の指輪が、きら りと光った。 「…これ…」 「お前が鎖を見せてくれた日に、小日向が返してくれた。…これは自分が持つべきものじ ゃない、この指輪の本当の行き場所は他にある。…だから返すと」 俺は大地の指輪をはめたままの自分の左手を示す。 「それから、こうも言ってた。…指輪は指を飾るためだけにあるものじゃない。…誓いの 証に取り交わしたりもするでしょう」 大地はぽかんとした顔をしていたが、はたとそこで我に返る。 「…って、律、今日ステージの前に、指輪はまだひなちゃんが持っているって言ってたじ ゃないか。あれは…」 「ああ、嘘だ」 けろりと言う。はあ?と大地が声を裏返した。 「なんでそんな…」 「ああ言えば、大地は俺に指輪を貸してくれるんじゃないかと思って」 「……」 「この指輪は返さない。…返さなくていいんだろう?…大地」 俺は中指にはめた指輪にそっとキスをした。 「俺は、大地が好きだ。この指輪に誓って、その気持ちは変わらない。……お前は?」 大地は、自分の薬指にかろうじてひっかかっているような小さな指輪を見た。泣き出しそ うに一瞬瞳が歪む。唇が震えて笑う。その震える唇を王冠に押し当てて。 「好きだよ、律。…ずっと好きだった。…今も。…これからも」 ………っ。 大地はいきなり俺を抱きすくめた。俺は逆らわない。その腕の中に身を預ける。 ずっとこうしたかった。俺は何を待っていたんだろう。何故待っていたんだろう。…馬鹿 馬鹿しい回り道をしたものだ。 …でもいい。この腕が今、ここにあるから。 少し落ち着いたのか、大地の腕の力がゆるんだ。俺の髪に鼻先を埋め、ふと、くぐもる声 で問うてくる。 「…どうでもいいことかもしれないが、…どうして律は左手の中指に指輪をはめているん だ」 俺の指輪は大地の薬指に押し込んだ。何故と思うのは無理もない。…俺は小さく笑う。 「前に、女の子達がお前の指輪のことを話していたとき、右手の中指にはめていれば恋人 募集中で」 思い出したのか、大地は小さくうなった。もうみんな見慣れて何も言わないが、当時は結 構指輪のことでからかわれていたから無理はない。 「…左手の中指は、私はあなたを愛しています、という意味だと言っていた」 大地が俺の髪から顔を上げる。手を肩に置き、顔をのぞき込んでくる。瞳ににじんでいた 痛みは慈しむような熱に変わっていた。その熱に浮かされるように、俺はつぶやく。 「……薬指には、大地がはめてくれ」 ひやりと冷たい夜風が、夏の終わりを告げている。触れている人肌が心地いい。大地の手 が指輪を俺の薬指に動かしたとき、ふと指輪同士が触れあい、きらきらと光が散った。幻 のようなその光が俺と大地を一瞬包んだように見えたが、…幸せな熱に浮かされて見た錯 覚だったかもしれない。