星めぐりの歌


「あかいめだまのさそり ひろげたわしのつばさ」
あとはふふんふふんとハミングでごまかして、二階のベランダで洗濯物を取り込みながら
千尋が歌っている。
「聞いたことがあるな」
夕食の下ごしらえをしながら忍人がぽつりと言うと、英語の教科書を広げて予習していた
那岐が顔を上げて、
「星めぐりの歌だよ」
と教えた。
「七夕だからかな。高校の近くの幼稚園で、子供がずっと練習してるんだ。発表会でもあ
るんじゃない?…ずっと聞こえてくるもんだから、学校中の生徒の耳に残ってるみたいで、
無意識だろうけどみんなよく歌ってる」
「…そうか」
忍人は、カレーの鍋に、包丁で器用に細工した星形のにんじん(七夕だからと千尋からリ
クエストされた)を入れながら、この歌をどこで聞いたのだったかとぼんやり考える。こ
の世界に来たとき既に高校生だった忍人には、童謡の類を聞く機会はあまりなかったのだ
が。
…また予習に戻ったように見えた那岐が、まるで忍人の内心の疑問に答えるかのようにぽ
つりと言った。
「銀河鉄道の夜だ」
その一言で、フラッシュバックのように忍人の脳裏に映像が閃いた。
暑い夏の日だった。
その日は偶然風早のバイトが休みで、慣れない場所で夏休みの時間をもてあます三人にと
彼がレンタルビデオを借りてきた。
銀河を旅する汽車の暖かな光。
汽車を取り巻く宝石をちりばめたような闇。
「ほんとうのさいわいは、いったいなんだろう」
猫を模した主人公の少年がそうつぶやいたとき、風早が無意識にだろう、ごく機械的に同
じ言葉を繰り返したことを覚えている。
千尋にとっての、…俺たちにとっての、ほんとうのさいわいは、いったい、何だ。
…忍人は、鍋を睨み付けるように見た。
あの時、主人公の少年の問いかけに、彼の友はぼんやりと答えた。
「ぼく、わからない」
……俺も、わからない。
忍人は心の中だけでつぶやく。
……だが、一つだけ、確かなことがある。
がたぴしゃと階上で窓が閉じられた。千尋が鼻歌を歌いながら階段を下りてくる。最後の
ところにだけ、なぜかまた歌詞がついた。
「こぐまのひたいのうえは そらのめぐりのめあて」
歌い終わると共に居間のガラス戸が開く。よいしょ、と小さな声がして、洗濯物を千尋が
下ろした気配がした。
「千尋、手伝おうか」
那岐が椅子から立ち上がる。
「ありがと、那岐。…わ、いい匂い。お兄ちゃんのカレー、大好き」
失敗しないから、と那岐が付け加えるのを苦笑でいなして、千尋が台所に顔をのぞかせた。
振り返った忍人はまぶしい光を見るように、目をすがめる。
確かなことはただ一つ。
君のその笑顔が、何より確かな、俺たちのたった一つのめじるしだ。