冬の祝祭

リブが買い物をしている。
見知った顔を市で見つけて、何気なく忍人はその姿を目で追った。
市は、里ごとに数日に一度の割合でたつ。
頻度は里それぞれだが、橿原宮に近いこの辺りでは、人の往来が多いこともあってか、戦
乱が続くこの時期でも比較的頻繁に市がたつようだ。
リブの姿をつい目で追ってしまうのは、彼がどうも落ち着きがないせいもあった。
うろうろと目で探してはしゃがみ込み、何かを問うてはがくりと肩を落とし、またうろう
ろと他の店を探しては何かを問う。その繰り返し。
どうやら最後の店にもふられたらしい。
肩を落としたまま歩いてくる姿に、忍人は思わず声をかけていた。
「リブ」
「…や、これは」
彼は小さな声を上げて髪に手をやった。
「…忍人殿」
「どうかしたのか。…何か先ほどから探しているようだったが」
はあ、まあ、と彼はあいまいな言い方をして首をすくめた。
「…たいしたものでは」
「そのわりに必死だったようだが」
「…いつから見ておられましたか」
存外お人が悪い、と苦笑されて、忍人も思わず首をすくめた。盗み見るつもりはなかった
が、そうとられても仕方がないかもしれなかった。
「たいしたものではないのです…が、こうやって言葉を濁して、ありもしない腹を探られ
るのも落ち着かない」
穏やかながら、物言いにはかすかな鋭さが混じる。ただ穏やかなだけの人物ではないとわ
かっているので、忍人は無言でそれを流した。
その様子を見て、リブは小さく笑い、
「…もっとも、あなたはあまり腹芸を使われる方ではなさそうですが」
付け加えた。
改めて忍人にまっすぐ向き直ったリブは、実は、と前置きして、
「茶を探しているのです」
…と言った。
「…茶?」
「ええ」
しかしそれなら、と忍人は少し眉を寄せる。
「風早がいつもいくらかは持っているはずだ。きらさないようにしていると言っていたし。
もし彼に直接聞きづらいなら、俺から聞いてみてもいいが」
「いえ、風早殿にはもううかがってみました。ですが残念ながら、あの方がお持ちなのは
中つ国の茶…豆や麦を炒って湯をさす茶ばかりで、常世で言う茶ではないのです」
「……?」
はっきりと首をひねった忍人に、葛城将軍も、常世の食事のことまではあまりご存じない
でしょうね、とリブはうなずく。
「常世には、茶の木というものがあります。見た目はこちらでいう椿によく似ています。
その葉を摘んで、蒸してもんで茶を作るのですが、どうやら中つ国にはまだその木がない
ようで」
リブは首をすくめた。
「ですが、出雲や高千穂では何とか手に入れることが出来たものです。おそらくは常世か
大陸から入ってきていたのでしょう。ならば、諸国を巡る行商人の中には、売り荷として
持っている者や、持ってはいなくとも手に入れる方法を知っている者がいるのではないか
と、あれこれ聞いてみているのですが、…これが意外と、なかなか」
なかなかと言いながらリブは額に手をあてて少しこすった。
「もっとも、こんな風に手を尽くしても、ご本人は別にどうでもいい、何でもいいと仰る
気がしますが」
…ということはつまり。
「アシュヴィンのためなのか」
「ええ。…じき殿下のお誕生日ですので」
忍人はあまり使わない言葉だったが、千尋が一時期大騒ぎしていたので知っている。中つ
国では生まれた日を祝うことはあまりないのだが、どうやら常世では違うらしい。
「戦の最中にそんなのんきなと言われそうですが、こんな戦の中ですからいつものような
お祝いは出来ません。必ずお祝いに駆けつけていらしていたシャニ殿下も今は行方知れず
と聞いています。…せめて好きな茶くらいは飲んでいただけたらと、…そう思うのですが」
忍人は少し目を伏せてそうだなとつぶやいた。
誕生日を祝うという感覚はなくとも、常世の彼らにとってそれが大切な日なのだというこ
とはわかる。一見穏やかで虫も殺さぬといった風情だが、その実なかなか食えぬこの目の
前の男が、主に対しては本当に心酔していて、誰よりも大切に思っていることも。
忍人はほほえましくなって少し笑ってから、なんとなくそれを恥じて口元を手で隠した。
「アシュヴィンはいくつになる?」
「この誕生日で23です」
……おや。
「俺と同い年か」
驚きで少し目を見開くと、リブも、いつも糸のように細い眼を少し見張って、それから急
に何かに思い当たる顔になった。
「…忍人殿。…ご自分が生まれたのがいつ頃かはご存じですか?」
「年…ではなくて、季節のことか?俺は冬至の生まれだそうだが」
「それで、明けてこの正月で23で?」
リブはほろほろと笑う。
「では殿下の方が二つ年上ですね」
「…は?」
忍人はいぶかしさで眉をひそめた。逆にリブはどこかうれしそうだ。
「中つ国の年の数え方は私も知っています。年の初めに皆がいっせいに一つずつ年を取る
のでしょう?つまり本当は、誕生日が来るまでは忍人殿は22だ」
…確かに、常世の考え方ならばそうなるのだろう。だが。
「ならば一つちがいだと」
「いいえ」
ちがうのですよ、とリブは言った。
「常世には、ゼロ、という考え方があるのです」
「…ゼロ?」
「ええ。…中つ国では、生まれ落ちたときにすでに一歳と数え始めるでしょう?常世では
違います。生まれたときはゼロ、…生まれて一年たって、最初の誕生日が来て初めて一歳
なのです。つまり、常世の考え方では忍人殿はまだ21歳です」
……む。
かんで含めるように説明されて、理解できない忍人ではない。…ただ。
「忍人殿でもそういう顔をなさいますか」
リブはくすくすと笑った。
「…俺は、どんな」
「悔しいときの子供のようですよ。…いつも年齢以上に落ち着いた顔しか見ないので、少
し新鮮ですね」
…むむ。
「この話を殿下にすればさぞ興がられることでしょう。茶は見つかりませんでしたが、い
い贈り物が見つかりました。…ご協力、ありがとうございます、忍人殿」
……なんというか。
「……うれしくない…」
忍人がぼそりとつぶやいたのを、この食えない男はもちろん聞き逃さなかった。今の一言
もいい土産話になりますとすかさず言うのほほんとした笑顔をうらめしげに忍人はぎろり
とにらみ、ため息をついて空を見上げた。
冬の空は青く澄んできりりと高い。背筋を伸ばしたくなる張り詰めた空気は、彼の皇子が
醸す雰囲気と少し似ている。緊張はするが嫌味はなく、どこか清々しい。敵ながら、その
清々しさを忍人は好ましく思う。
その彼の祝いというなら。
「……」
ため息をもう一つついて、忍人は歩き出した。
……たまには道化になるのもいいかもしれない。