犬と猫


大地は、菩提樹寮の裏庭で土岐を見かけた。
確かテラスに置いてあったはずのデッキチェアを少し離れた木陰へと移動させ、優雅に本
を開いている。ただし、本のページは動かない。見ればどうやら、うつらうつらと昼寝を
しているようだった。
彼が昼寝をしているのを良いことに、少し近づいて、つくづくと土岐を見る。…思わず嘆
息がこぼれた。
見れば見るほど、この男は猫に似ている、と思う。昼間はいつもぐうたらしているところ
も、気付かぬうちに一番居心地のいい場所をちゃっかりキープしているところも、人を食
ったようなその態度も、どこかつかみどころのない謎めいた表情も。
「……」
眺めていると、ある一つの考えがしみじみと大地にしみてくる。
……俺は、飼ってるのが犬で良かった。…もし。
「…っ」
そのとき不意に、猫の瞳がふわりと開き、大地をうっとうしそうに睨め付けた。
「……先刻から何なん、榊くん。用事があるんやったら早よ言うて。ただの通りすがりや
ったらさっさと通り過ぎてや」
「……起きてたのか」
「君の気配で起こされたんや。千秋や小日向ちゃんみたいに、おっても気にならん気配も
あるけど、君の気配はおるだけで空気がぴりぴりして、おちおち寝てられん」
「……そりゃ、悪かったね」
大地は少しくさって拗ねた言い方をした。…それを見て、土岐は目をすがめて、唇だけで
声もなく笑う。
「……何かな」
「いや。…言うたら君が気ぃ悪いやろから言わんとくわ」
「……今更?」
思わず大地は口走った。ではこれまでの会話は何だったというのだ。既に半分喧嘩を売ら
れているような雰囲気だったと思うのだが。
今更、という言い方がおかしかったのか、土岐は珍しく声に出してははと笑い、…そうか、
今更やな、とうなずいた。
「今更なんやったら言いかけたこと飲み込まれる方がすっきりせんやろし、言うてまおか。
…先刻の君の拗ねた顔見たら、何やかまってもらってへん大きな犬みたいやなあ、思て、
おかしかってん」
「……」
大地はその答えに思わず吹き出した。…おそらくは、大地が憮然とすると思っていたのだ
ろう、土岐は、おや、という顔をして首をかしげた。
「…受けるとは思わんかったわ」
「ついね。…俺も同じようなことを考えてたから」
「……自分が犬っぽいって?」
「いや、俺のことじゃない。……先刻、君を見ながらつくづくと、猫みたいだなあと思っ
てた」
土岐は一瞬鼻白んだ顔をしかけたが、お互い様だと思い直したのか、首をすくめて、猫な、
とつぶやいた。
「…まあ確かに、犬か猫かと聞かれたら、俺は猫やろな」
大地は、先刻土岐の目覚めで遮られた考えを、ぽつりと口にした。
「…俺は、飼っているのが犬で良かった。…君みたいな猫が手元にいたら、きっと俺の手
には負えない」
土岐は眼鏡の奥の瞳を、おや、と見開いてから、うっすら笑う。
「俺は、榊くんみたいな犬やったら飼いたいわ。利口そうやし、なつくまでは手ぇかかる
やろけど、なついてしもたら素直そうや」
「…」
今度こそ予想通りに憮然とする大地に、土岐は艶然と笑い、片手を大地の首にとろりと回
した。
「…試してみよか?」
「遠慮するよ」
土岐の手を首からそっと外して、大地は土岐に背を向けた。これ以上会話していたら、土
岐に毒されそうだと思ったのだ。
その背中に、誘惑するように、土岐はなおも声をかけてくる。
「気が変わったら、いつでもおいで?」
背を向けたまま、さくさくと草を踏んで歩きながら、大地は首を横に振った。
「…ごめんだね。…どうせ本気じゃないんだろう」
「……本気やったら?」
さく、と大地の足が止まった。
背中に感じる、からみつくような土岐の眼差し。…息を吐いて、……吸って。
「……俺に本気なんか、みせたこともないくせに。……よく言うよ」
決して振り返らず、それだけ言って、大地は再び歩き出した。精一杯の強がりを、土岐は
気付いただろうか。追っては来ない気配を少し寂しく思う自分に気付いて、大地はかすか
に嗤った。