一番欲しい贈り物


「あのさ、忍人。…忍人は自分の誕生日、どうやって決めた?」
「……?」
忍人は読んでいた本からぽかんと顔を上げた。『たんじょうび』という言葉に聞き覚えは
あるが、それが何だったかとっさに思い出せない。豊葦原になかった言葉には、ままある
ことだった。
「たんじょうび、…って」
何だっけ、とも言えずに口ごもっていると、那岐が机に向かって書き込んでいた紙から顔
を上げ、ああ、と何かを覚った顔になった。
「…そうか。忍人、こっち来たばっかりの頃、しばらく抜け殻みたいになってたもんね。
覚えてないか。……っていうかまさか、誕生日が何かすらわからない、とは言わないよ
ね?」
そのまさかだったので、忍人は思わず口を押さえ、あらぬ方を見た。那岐は微妙な間をお
いた後で、くっくっと笑い出す。
「…らしくないね、忍人。こっちの世界の知識、ほとんど完璧なのに。…抜けてる知識も
あったんだ?」
「……」
抜けてるわけではない、思い出せないだけだ、と言い返したいが、……意味がわからない
のならどちらでも同じかと、言い返すのをあきらめる。
那岐は机に頬杖をついて、忍人を見た。
「誕生日は、自分が生まれた記念日のことだよ。豊葦原だと、四月に生まれようが十月に
生まれようが、年を取るのは元旦、全員一斉に、と決まっていたけれど、こっちじゃ自分
の生まれた日に一つ年を取る。年齢は、こちらの世界の様々な決まり事に関わってくるか
ら、その本人にとっても周囲にとっても、かなり大事な日なんだよ、……って、風早は言
ってた」
……ああ、そうだ。……そうだった。
得心している忍人の横で、那岐はペンを回し始めた。
「最初はさ、正直、面倒な習慣だなって思った。一人一人に違う記念日なんて、覚えるの
大変だろ。……でも、最近は、ちょっといいなって思うようになったんだ」
その口元が静かに微笑んでいる。
「……何故?」
けれど、忍人が問うたとたん、那岐はちょっと困った顔になった。
「うーん。…うまく言えないんだけど、その人だけの大切な日を祝ってあげられるってい
いことだなって。……つまりさ、忍人の誕生日は、忍人には大事な日だけど、忍人を知ら
ない他人から見たらどうでもいい日だ。…でも、僕は忍人と血のつながりも何もないけど、
忍人の誕生日が何日なのか知ってて、その日になったらどうやってお祝いしようかって考
えるのが楽しい。…僕にはどうでもいい日なんかじゃない。とても大切な日だ。……そう
いう、自分にとってどうでもよかったはずの日が、とても大切な日になるって感じがなん
かいいなって……、…あー」
言いながら、上手く説明できないことに焦れてきたらしい。那岐はきれいな金の髪をぐし
ゃぐしゃと惜しげもなくかき乱した。
「…わけわかんないこと言ってるよね。…ごめん、聞き流して」
「……いや。聞き流したりはしない」
忍人は少し目元をほころばせた。
「正直、那岐の言ったことのすべてが理解できたわけじゃないが、那岐にとって俺の誕生
日が特別な日だというのはうれしかったし、そう思ってくれる気持ちはわかる。那岐の誕
生日は俺には大切な日だから」
「…」
那岐はじわりと頬を赤くし、わざとらしくこほんと咳払いを一つした。
「真顔で言われると照れくさいね。…まあでも、そういうこと。……でさ。僕が本当に言
いたかったのは、そういう大切な日を、僕たち結構適当に決めたんじゃないかってことな
んだ」
「…適当?」
忍人は首をかしげた。
「だってそうだろ。僕ら、自分がきっちり何日に生まれたかなんて、知りようがないじゃ
ないか。だから風早に、誕生日どうしようかって聞かれたときも、そういや師匠が、僕を
拾ったのは満月の夜だったって言ってた、くらいしか答えようがなくてさ。そしたら風早
が『じゃあ那岐の誕生日は9月15日にしよう』って。…大切な日をそんなふうに決めち
ゃったんだよ。……忍人は?」
問われた忍人は腕を組んで考え込んだ。ややあって、
「…そのあたりの経緯が全く記憶にない」
ぽつりとつぶやく。
「俺が冬生まれなのは確かだが…」
「じゃあ、きっちり真冬ってことで冬至を誕生日にしようって決めたのかな。…本当に適
当だなあ、風早」
「……だが、あながち外れてもいない気がする」
「……?」
「風早は全くの適当で日を決めているわけじゃなく、何かを知っていて決めた、…俺には
そんな気がするんだ」
「…根拠は?」
「俺が冬生まれだと、風早に言った記憶がない」
「だって、こっちに来たばかりのことはあんまり記憶にないんだろう?」
「ああ。……だがあの頃の俺が、問われたことにまともに返答できていたとも思えない」
…当時の自分は、言われるがままに起きて寝るだけの幽霊のようだった。那岐も思い出し
たのだろう、小さくうなずく。
「師君の屋敷で兄弟弟子として生活していた頃には、誕生日がどうとかという話題が出た
ことはなかった。だから、俺が冬に生まれたことを風早が知るはずはない。…それを、適
当にせよ、冬そのものの日と定めたのは、何故だ」
忍人は目を伏せた。
「ただ適当なだけではなく、何かを知っているからだ。…俺はそう思う」
真面目に結論づけると、那岐がうなずきかけた、そのあごが動く寸前に、
「もっとも、今のは俺のただの勘なんだが」
つけくわえると、おもしろいようにがくりと肩が落ちた。
「……ああもう、うちの年長者は二人とも……。…片方は適当、片方は勘。…大丈夫なの
かな、この家」
「……でも那岐は、本当は大丈夫だと思っているだろう?」
くす、と笑うと、那岐は少しむっとした顔になった。おそらく少しは(あるいはかなり)
図星なのだろう。
「何を根拠に」
つけつけと言われてもう一度、
「勘だ」
「……だと思ったよ……」
言うと、深々とため息をつかれた。そして、こういうときは、話題を変えるに限ると言わ
んばかりにそそくさと那岐は自分から口を開く。
「じゃあその勘の申し子に質問。……誕生日に、何かほしいものある?」
忍人はぱちぱちと二つまばたいた。それから腕を組み、真顔で考え込み、…考え込み。
「……特には、ない」
毎年、千尋や風早にも困った顔をされるのだが、本当にないのだから仕方がない。
千尋のようにかわいいものに対して物欲がありすぎるのも困るし、風早のように「千尋が
選んでくれたものならなんでも」みたいな態度も困るが、それでも欲望があったり望みが
はっきりしていてくれる方が対処しやすいだろうとは、忍人自身自覚している。那岐も忍
人と同じく物欲が薄いが、誕生日だから何が欲しいと問われれば、それなりに何か答える。
だが忍人には全く欲しいものがないのだ。
「ケーキでも食べれば、それでいいんじゃないか」
全く他人事のように言うと、那岐はむっとしたらしく、唐突にすらすらとプランらしきも
のを並べ立て始めた。
「あやしいトレーニンググッズと、あやしい栄養ドリンク剤セットと、あやしい文字がプ
リントされたあやしいTシャツだったらどれがいい?」
・・・・・・。
「………どれもいやだ」
「どうして?」
「全部、あやしいがつくから」
「それが嫌なら、ほしいものを真面目に考えてよ。…今年の忍人のプレゼント買うの担当、
僕だから」
暗に、千尋の穏当なアドバイスや、風早がいつも使う手の家族で使える実用品プランは受
け付けないぞと匂わされる。
忍人はため息をついた。
「………いつまでに答えればいい」
「今度の週末に買いに行くから、それまでに」
「…………わかった。…真面目に考える」
「真面目に考えなかったらあやしい精力剤セットにしてやる」
「……さっきはあやしい栄養ドリンク剤セットって言ってなかったか」
「どっちでも似たようなものだろ」
「……そうか……」
楽しげに笑いながら、大丈夫だよ、と那岐は言う。
「大切な忍人の誕生日だもん。…すてきな日になるようにいろいろ工夫するよ」
「……ほどほどで、かまわない」
「遠慮することないよ」
「……」
忍人はその日何度目かのため息をついて、…静かに笑った。

本当にほしいものは、ちゃんとある。
君と、姫と、風早と。……俺にとって何より大切な人たちからの言葉だ。
ここにいていいのだと。ここにいてほしいのだと。
ただその言葉だけでいい。
この場所にいられること。……それが俺の、一番ほしい贈り物。