嫌がらせ 「そういえば俺、響也に先輩って呼ばれたことがないなあ」 ある日の練習中、大地がぽつりと洩らした。 「…っ、なんだよいきなりっ。いーじゃねえかよ、別にっ!」 「ええー?ほんとなの?それは失礼だよ、響也」 むっとして言い返した響也にまずかなでが声を上げ、ハルが続く。 「そうですよ、いくら相手が榊先輩だからって目上への礼はちゃんと尽くすべきです!」 「…ひなちゃんはともかく、ハル、お前微妙に失礼だぞ」 「え、そうですか?」 とぼけているのか真面目なのか、ハルは真顔だ。そこへ律が静かに口を挟んだ。 「弟の非礼は代わってわびるが、大地。あいにくこいつに目上への礼を教えるのは無理だ と思う」 「なっ」 絶句したのは大地ではなく響也だ。 「なんであんたにそんなこと決めつけられなきゃいけないんだよ!」 「何故か、だと?」 律は眼鏡を上げ、響也をじっと見つめる。 「子供の時から今までずっと、律と呼び捨てられたり、バカ兄貴クソ兄貴と呼ばれたこと はあるが、一度たりともお兄さんと呼ばれたことがない気がするのは俺の気のせいか」 うっ、と響也は詰まって、 「決めつけてんじゃねえよ。じゃあ呼んでやるよ、なんて呼ばれたいんだよ」 むきになった。 …大地はこっそり、あーあ、と思う。ちらりとかなでを見ると、彼女も無言のままやれや れという顔をしていておかしい。 律はそんな二人の反応に気付いているのかいないのか、まっすぐに響也を見て一言言った。 「では、律お兄ちゃん、と」 「……っ!」 響也が絶句した。 「どうした。やはり言えないか」 「う、えっ…」 「最初にしては結構ハードル高いですよね」 冷静にかなでが指摘した。 「さすが律、厳しいなあ」 大地は腕を組む。 「でも部長がそう呼ばれたいと仰ってるんですから、響也先輩」 ハルは相変わらず真顔で言うが、今度こそ大地とかなでは顔を見合わせた。ちがう。これ はちがう。これは、単なる嫌がらせ。 「り、りつ、りつっ、おに、おに、い」 さんざんどもったあげくに響也は結局叫んだ。 「呼べるかよ今更この年でそんなこっぱずかしい呼び方ー!!」 「やはりな。…すまない、大地。こんな調子なので、あきらめてくれ」 「ああ、かまわないよ。…なんだかずいぶん、響也にダメージが大きいみたいだから」 ちらりと見る視界の片隅で、響也は敗北感にがくりとうなだれ、しかもその上ハルから、 どうしてその程度のことが言えないんですか、簡単じゃありませんか、と説教を食らって いる。 …そんなつもりではなかったのだが、ちょっと悪いことをした、と思う、意外と人のいい 大地なのだった。