軽蔑


こういうところが自分のよくないところだ、と、…その晩俺は、改めて思った。

年齢的に、異性とのそういう経験があるのは不思議ではない。けれど、自分は男として受
け入れる側を経験したことはないし、相手もそうではないかと思ったのに、彼の仕草は手
慣れていた。
どこからか出してきた小さな缶には軟膏のようなものが入っていた。不思議なほどの用意
の良さに俺が驚いていると、彼は無言のまま自らで自らをほぐし、事前には、俺には何も
させなかった。さすがに事後はぐったりとして、俺にされるがまま、後処理を任せたが、
それもどこか慣れている風で。
だから、ついうっかり俺は問うていた。
「…土岐。慣れてる?」
「…何が。…セックス?」
面倒くさそうにのろのろと聞かれて、はたと俺は手を口で塞ぐ。
だが、俺の反応を見た土岐はおもしろそうににやにや笑って、ベッドに肘をついた。
「まあ、ほどほどにな。…慣れとうよ」
彼が筋肉も脂肪も薄い腕で長い髪をかき上げると、うなじに後れ毛が汗ではりついている
のがなまめかしい。その体勢のまま、土岐は俺から少し目をそらした。
「この年やし、男やしな。…榊くんかて初めてやないんやろ?」
「まあそうだけど、…ただ俺は受け入れる方の経験はないか…」

−……うわーーーー!!!

ぼんやりとつむいだ言葉の途中で俺はまた口を塞いだ。

−…俺はまた何でこんな言わなくてもいいことを!!!!!

さすがに、土岐の気配が一瞬ぴりりととがった。…だがすぐにその気配は消え、どこかあ
きらめたような、投げやりな様子で、別に、と言った。
「するんもされるんも、言うほど変わらへんで。…気持ちようなれたらそれでええんやし。
…君は確かに、受け入れたことなんかないやろから、君につっこんでも自分が痛い思いす
るだけや。せやったら、俺がされとう方がまだましやて、今日はそう思っただけや。いっ
つもいっつも受け入れてるわけやない」
 「……。……やっぱり、東金と?」
うっかりした問いは、また無意識に口から滑り出た。本当に、ただ何気なく出た言葉だっ
た。だがその名前を出したとたん、今度こそ土岐の気配が凍るようにとがる。
「千秋が、何」

−……しまった。

空気がぴりぴりしている。残暑が厳しい部屋の中なのに、一気に温度が下がったようで、
俺はぶるりと震えた。
「…いや、…その、あの、…土岐が経験するとしたら、東金が相手なのかなって、…思っ
て。…仲がいいから」
「阿呆か」
吐き捨てるように土岐は呟き、汚らわしいものを見る目で俺を見た。
「千秋相手にこんなん、…するわけないやろ」
「……え」
「千秋相手に、遊びで、とか、性欲処理のためだけのセックスとか、……出来るわけがな
い。……君は出来るんか?」
「……へ」
返す刀で問われて、一瞬思考が止まる。土岐は、要領を得ない俺に舌打ちして、冷ややか
な声で説明を加えた。
「榊くんは、如月くんにこないな、…俺にしたようなこと、出来るか?」
「………っ」
……氷の刃で、刺し貫かれたような気がした。
律とこんな行為をもししたら、と考えて、…あの澄んだ瞳が侮蔑に曇るところを想像した
ら背筋が凍った。…と同時に、土岐から見れば俺とのこの行為など、ただの性欲処理に過
ぎないと明言されたことに、胸の深いところが破けて血が流れ出す。
東金にこんなことが出来るわけがないと顔をしかめた土岐の肌の白さが痛々しく、そんな
ことを言わせてしまった自分が情けなくて。
「……ごめん」
何にどれに謝っているのだろう、と思いながら、俺は詰まる喉でつぶやいていた。
「……。……謝ってなんか、いらんわ。よけい気ぃ悪い」
「……。……うん。…そうだな、ごめん」
「せやから…っ!」
声を荒げかけて、…途中でその声ははたりと力をなくす。
「……。…ええわ、もう、何でも。……痛いし、疲れた。…先寝るわ。始末、ちゃんとし
といてや」
「ああ」
俺の返事もろくに聞かず、土岐は俺にくるりと背を向けて、頭の上まで上掛けをかぶって
しまった。
ため息一つ、唇噛んで、俺は天井を睨み付ける。
後悔で胸が痛んでいるのに、あの傷ついた顔の土岐に襲いかかって、滅茶苦茶に声を上げ
させたい、もっと手ひどく愛したいと思っている俺がいる。憎まれても厭われてもいい、
もっともっと土岐がほしいと、嵐のような欲望が俺の理性を呑み込もうとしている。

−…性欲処理のはけ口でいい。…それで君が、身体だけでも俺のものになるのなら。

「……何だこれ」
俺は頭を抱えた。
「……何なんだよこれ。…どうしたんだ俺は」
呻く俺の声が聞こえているはずなのに、土岐は微動だにしない。
むなしくて、さびしくて、…でも心のどこかでそんなことを考えるのは図々しいと、自分
を卑下する気持ちもあって。
「……」
俺はのろのろと立ち上がり、後処理する風を装ってシャワールームにこもった。熱い湯を
浴びながら自分で自分を慰めて、白いものを吐き出したら、泣けてきた。