今夜は眠れない


律は基本的に、悩むのは性に合わない主義だ。だから、大地の誕生日が目前に迫ってもこ
れという贈り物が思い浮かばなかったとき、すぱりとまっすぐ問うてみた。
「大地。今年の誕生日プレゼントは何がほしい?」
答えもすぱりと返ってきた。
「じゃあ、電話がほしいな」
「…電話?…新しい携帯電話か?」
「物体の話じゃないよ」
真顔で問い返した律に、さすがに大地が苦笑した。
「電話をかけてほしい、…そういうこと」
「……?」
律は首をひねった。それのどこが誕生日プレゼントになるのかよくわからない。いつも頻
々としていることではないか。
だが大地は笑って、特別な電話がほしいんだよ、と言った。
「誕生日の朝一番に、律の声が聞きたいんだ。律の声で、おめでとうと言ってほしい。…
…プレゼント、してもらえるかい?……律」
「・・・・・。」
まだ今ひとつ腑に落ちないが、それくらいたやすいことだ。
「もちろん、かまわない」
律は大真面目な顔でそう応じた。
「約束する。29日は、必ず朝一番に、大地に電話する」
請け合いながら、律は心の中だけでため息をついた。
いつもいつも律の不足を埋めてくれる大地に、プレゼントが朝一番のコールだけというの
はあまりにも少ない。
電話以外にも何かプレゼントを考えなくてはならないが、これ以上大地に聞いても、にっ
こり笑って『電話だけで十分だよ』と言われるのは目に見えている。
律はやむなく、悩みは心の中にしまい込み、大地を見て穏やかに微笑んだ。


結局、これというプレゼントが思いつかないまま、明日はもう当日だ。
最近聞いて気に入ったCDにリボンをかけ、昼か夜でも食事に誘おう。そしてまずは朝一
番の電話だ…と考えたところで、律はふと首をひねった。

−…朝一番というのは、何時くらいだろう。

常識的には七時くらいか。だが朝練慣れしている大地なら、六時半にはもう動き出してい
るだろうし、そもそもその前にいつもモモの散歩に行くはずだ。
じゃあ五時。…それとも四時?……四時はさすがに迷惑か。まだ寝ているだろうか…。
「………。」
いやまて。そもそも大地が願った一番というのはそういうことだろうか?そうじゃなくて、
…もしかしたら、そうじゃなくて……。
「………」
考え始めたら、頭がぐるぐるしてきた。律は眼鏡のブリッジを押し上げ、ため息をつき、
二度、三度と額をこする。…やがてその顔にゆっくりと納得の笑みが浮かんだのは、小半
時も過ぎてからだった。


電話の着信音に、大地はおやと首をかしげた。
時間は29日の午前0時。メールはともかく、あまり電話がかかってくる時間ではない。
だが、日付が日付だ。悪友の誰かが祝いの電話をくれたのかもしれないと、あまり深く考
え込まず電話に出ると、静かな声が、
「もしもし」
と言った。
「………。」
大地は、たぶん3秒くらい黙り込んだ。…それから、
「…律?」
はたと我に返って名前を呼ぶ。
「電話は朝なんじゃ…」
いや別に何時にもらっても構わないが。だがぶっちゃけ、他の友人はともかく、律からの
おめでとうには心の準備をしたかった気がする。正座して待つとか。
「……そうだな。…そうなんだ」
電話の向こうで、律はぼそぼそと応じる。いつになく歯切れが悪い。
「朝と言われたからには、かけるなら朝だとは思ったんだが、…何時にかけたら一番にな
れるのかがわからなくて」
「……え?」
ふ、と、…電話越しに伝わる吐息。聞き慣れた息づかい。…律が微笑んだときの癖だ。
「誕生日おめでとう、大地。……大地の願い通り、今日一番最初に大地におめでとうって
言ったのは俺だ。…そうだろう?」
「……!」
ひどく誇らしげな律の言葉に、大地は短く鋭く息を吸った。
…自分は確かに、朝一番に律の声を聞きたいと願った。それは、普段だったらありえない
しおねだりできるはずもない、律からのモーニングコールを聞いてみたいという少女まん
がのような子供っぽい発想だった。
だが律は、朝電話で大地を起こしておめでとうを伝えることよりも、誰よりも早く大地に
おめでとうを伝えることの方が大切だと考えたのだ。しかも、その通り実行した自分を誇
って。
胸がむずむずした。たまらなかった。
言葉が出ない大地を訝るように、律がその名を呼んだ。
「…大地?」
「……っ、…ああ、ごめん。…そうだよ。律が一番だ」
電話の向こうで小さく律が息を吐く音が聞こえた。ほっとしたようだった。
「……こんな夜更けにすまなかった。…朝、もう一度かける」
「…え?」
「元々は、朝一番に。…そういう話だった。…朝もちゃんと電話する。何時がいい?」
てっきりおめでとうの電話はこれで終わりだと思ったのに、お願い通り朝一番にもちゃん
とかけてくれるらしい。…律の律儀さがいっそ滑稽なほど愛しくて、大地は目をすがめて
微笑んだ。
「…アラームは毎朝、5時半に鳴らしてる」
「じゃあその少し後に電話する。……じゃあ、おやす…」
「律」
電話を切ろうとした律を、大地は淡々と遮った。
「…何だ?」
怪訝そうながらも、律は素直に答えてくれる。にっこり笑って大地は言った。
「愛しているよ」
「…………っ!!」
電話の向こうで律が息を飲むのがわかった。
「…何だいきなり!」
「十九歳になって初めての告白だなあ」
律の動揺を承知で、大地はのほほんと応じる。
「大地っ…!」
「朝、電話をもらったら、また言うよ」
「…っ、言わなくていいっ!」
「言いたいんだよ、言わせてくれ。…今日は俺の誕生日だ。少しくらい好きにさせてもら
ってもいいだろう?」
「少し、って」
「律が好きだよって言いたいんだ。…ささやかなわがままじゃないか」
「………!!…そんな恥ずかしいことを何度も言うなら、もう電話は…!」
「駄目。俺の希望は朝一番におめでとうの電話、だった。…この時間の電話は、朝一番じ
ゃないよ。…約束通りのプレゼントをもらいたいな」
「…。わかった、電話はする。おめでとうも言う」
いかにもしぶしぶという声で律は言った。
「ただ…」
そこで何か彼は釘を刺そうとしたのだろう。すかさず大地はまた遮る。
「ありがとう、律。…大好きだよ」
「………!!!」
ふつっと電話が切れた。大地はくすくす笑う。
恋に物慣れない様子で何事にも淡白だった律が、大地の電話越しの他愛ない告白にこんな
にも動揺している。何という進歩!
「…どうしよう。…幸せだ」
律は困っているだろう。苛立ってもいるだろう。照れてもいるだろう。…そしてそれから
きっと、じわりほんのり、うれしいはず。
あの白い貌にかすかに赤みがさしているところを思い浮かべて、大地はごろん、とベッド
に転がった。

…明日の朝、アラームが鳴るまで、今夜はもうとても、眠れそうにない。