こたつみかん


むむむと子供がむずかるような声を出して、むくりと那岐が起き上がった。寝ぼけ眼でこ
たつの天板にあごをのせる。
「那岐、起きたの?…よく寝てたね、もう3時半だよ」
「こたつで寝ると風邪をひくから気をつけるんだよ。…みかん、食べるかい?」
無言で手を伸ばし、風早からみかんを受け取りながら、那岐はふにゃあと猫のように鳴い
た。
「お正月って極楽だよね…。……おせち食べるから食事当番はないし、冬休みは宿題も少
ないし、そもそも寒い中外に出て学校に行かなくてよくて、こたつでごろごろしてても文
句言われない…!」
「…うーん、こたつでごろごろしてて文句言われないのは、主に文句を言う人が、今出か
けてるだけだと思うけど」
苦笑気味につぶやく千尋の声に、那岐はゆっくりとこたつの周りを見回した。四角形のこ
たつの一辺は、確かに空いている。
「忍人は?」
「身体がなまるって、走りに行っちゃった」
「……朝も行ってたじゃん」
毎朝のランニングは忍人の習慣だ。雨が降ろうが槍が降ろうが、もちろん正月でも、それ
は変わらない。
「学校もバイトもないと、ペースが狂うんだって。だから」
「学校もバイトもないんだから、ごろごろすればいいのに」
みかんの皮をむきながら、那岐は首をすくめた。
「バカだなあ、忍人」
「真面目だなあ、でしょ」
たしなめるように千尋が言う。那岐はむいたみかんをふくろのままぽいぽいと口に放り込
む。こたつで寝てしまって渇いた喉に、みかんの水分が心地よい。
「ごろごろするときは全力でごろごろすべきだよ。…風早、みかんもっとない?」
「あ、ごめん。俺が今最後の一個を食べた」
「えー」
那岐が唇を尖らせてブーイングする。
「もうないの?」
「台所の箱に取りに行けばまだあるよ」
そこへふと、千尋が口を挟んだ。
「あたしも食べたいな。取ってきてよ、那岐」
那岐が顔をしかめる。
「やだよ、台所寒いし。最後の一つを食べたのは風早なんだから、風早が取ってきなよ」
「食べたいのは那岐でしょう?俺はもう充分」
「あ、千尋も食べたいって言ってた。じゃ、千尋」
「え。取りに行かなきゃいけないんだったら、別に…」
「…。」
「…。」
「…。」
「…。…思うんだけど。僕らって、三人が三人とも、すっごいずぼら?」
「…。…まあ、そうですね」
にっこり笑って風早が言った。千尋も気恥ずかしそうながら否定はしない。みかんをめぐ
って、事態が膠着状態に陥りそうになったとき、がらりと玄関の開く音がした。
「…ただいま」
その瞬間、那岐が声を張り上げる。
「忍人ー!手洗ってうがいしたら、台所に寄ってみかん持ってきてー!」
「………。」
微妙な沈黙はあったものの。
「…悪いが、汗をかいているので上で一旦着替えてくる。みかんはその後でもいいか」
どうやらみかんを持ってきてくれるようだ。
「いいよー」
「…。じゃあ、後で」
洗面所に入る気配。手を洗い、うがいする音。…そのまま忍人はとんとんと階段を上がっ
ていって、部屋に入る音で物音は途切れた。
ほて、と那岐はまたこたつに顔をのせた。
「……つまりうちは、忍人がいなかったら、どこまでもどこまでもずぼらになっていくっ
てことなんじゃないの?…みかんも台所じゃなくてこたつの横に箱ごとおいとくことにし
ようとか提案してさあ」
風早はぷっと吹き出したが、目そのものはあまり笑っていない、…ような気が、那岐には
した。
「まあ、いざとなったらほどほどにずぼらでほどほどに規則正しく過ごすだろうけど」
…風早の目を見てしまったからだろうか。言葉にも妙な含みを感じて、心が騒ぐ。
「……でも俺は、この家に忍人がいてくれてよかったと思うよ」
階段を下りてくる足音で、風早は口をつぐんだ。忍人はきっちりみかんのことを覚えてい
たようで、台所で少しごそごそしたかと思うと、かごに大盛りみかんを持って居間に入っ
てきた。
こたつの天板にそのかごを置いたとたん、三方から一斉に手が伸びる。それを見て、忍人
は呆れた顔になった。
「そんなに食べたいなら、俺を待たずに誰か取りに行けばいいのに」
「こたつから出られなくてね」
「一回入るとねっこが生えちゃうの」
「忍人だって、入ったら出られなくなるよ」
「…いや。悪いが俺はそれはない」
きっぱり言い切って、それでも忍人はこたつに足を入れた。
こたつの四辺が埋まる。…那岐は何となく、ほっとした。千尋も笑う。
何故だろうか。この家にいて家族が誰か一人でも欠けていると、いつもほんのりと不安に
なる。焦燥でいてもたってもいられないような不安ではなく、じわりと背筋をなでるよう
な不安だ。その不安を消してくれるのは、この四辺が全て埋まることだけなのだ。
那岐は、みかんを大事そうにむいている千尋を見、もういらないと言っていたくせにいそ
いそとみかんをむきはじめている風早を見、その二人と自分とを等分に見て、かすかに笑
っている忍人を見る。
じわりと安堵が胸を満たす。ほっとしてうれしくて、…なんだか笑い出したいくらい。
「いいお正月だね」
風早がのんびりとつぶやいた。