枕


「究極の枕!……だって。…あなたに合わせて枕を調整、…かあ…。…うーん、駄目だー」
食卓にチラシを広げて、千尋がうなっている。風早が読んでいた本から顔を上げて千尋を
見た。
「何が駄目なんだい、千尋。…値段?」
「うーん、値段も確かに、三万円近くして高いんだけど、この、『あなたに合わせて』っ
ていうのが…」
「……?」
風早は不思議そうに首をかしげた。
「それのどこが駄目?」
千尋は上目遣いに風早を見て、実は、ともじもじ切り出した。
「那岐の誕生日プレゼントに、枕をあげようかなって思ってたの。…でも、驚かせたいの。
…あなたに合わせて、だったら、どうしたって那岐をお店に連れて行かなきゃ駄目だもん。
ばれちゃうよお」
「…うーん、そこまで秘密にこだわることはないと思うけどね」
風早は頬杖をついた格好でくすくすと笑った。
話題に上がっている当の那岐は、今風呂に入っている。なので、秘密秘密とさわぐ千尋も、
おおっぴらに食卓の上にちらしを広げてうなれるわけなのだが。
「こっちの枕なら、内緒で買えるなあ……。……うう、でも気になるなあ、究極の枕…」
「…だったら」
それまで黙っていた忍人がふと口を開いた。
「券にすればいい」
「券?」
風早は首をかしげて忍人の言葉を復唱する。
「…券?」
風早に遅れること数秒、千尋もぽかんと目を見開いて、忍人の言葉を復唱した。
「そう。……千尋が見ているチラシ、駅前の商店街の寝具屋のものだろう?…俺も、究極
の枕という宣伝文句が気になって、今日ちょっと店をのぞいてみたんだ。そうしたら、贈
り物なら枕調整券をどうぞ、と書いてあった」
「…?」
風早は、ははあん、という顔になったが、千尋はまだ要領を得ないようで少し首をかしげ
ている。ので、忍人はもう少し説明を足した。
「つまりだ。贈り主は金を払って枕の券を買い、相手に贈ればいい。もらった当人はその
券さえ持っていれば、いつでも自由な時間に枕を買いに行って自分好みに調整してもらえ
るわけだ」
「……っ!それ!」
ようやく察した(というかここまで説明されれば誰でもわかる道理だが)千尋が、がたん
と音を立てて立ち上がった。
「そんなしくみがあるんだ!それにする!!それがいい!!……あ」
勢い込んだ反動か、ぷしゅう、と空気が抜けた顔になってまた彼女は椅子にへたり込み。
「…でも、ちょっと高いけど…」
「大丈夫だよ」
風早はくすくすと笑いながら、千尋のコップに麦茶を注ぎ足した。
「那岐の、年に一回の誕生日だ、盛大に祝えばいい。千尋がそこまで気に入っているなら
なおさらだよ」
「俺のバイト代もこの間入った。生活費に回してあるが、八月分は夏休みでいつもの月よ
り結構働けたから余裕があるはずだ。少しは足しになると思う」
「…!ありがとう!二人とも大好き!!」
千尋が叫んだとたん、忍人がふっと耳をそばだて、…いきなりテーブルの上をなぎ払う勢
いでチラシをひとまとめにつかみ、テーブルの下に押し込んだ。
「……っ?」
からから、と軽い音がして脱衣所の引き戸が開き、廊下を挟んで一歩という場所にある食
堂に、那岐が顔を覗かせる。
「お風呂空いたよ……。……?…何、どうしたの?」
ぽかんと呆気にとられている千尋。にこにこ笑っている風早。涼しい顔で麦茶をすする忍
人。…那岐は三人の顔を順繰りに見回して不思議そうに首をかしげた。
「麦茶飲むかい、那岐。…あれ、しずくが髪からまだしたたってるよ。もう少しちゃんと
拭いて」
「…あ、うん」
那岐は言われたとおりにタオルで適当に髪を拭きながら、千尋をまじまじと見た。
「…てか、…何かあったの千尋。ぼけっとしてさ」
「……う?…うん。…あ、ううん。何かあったというか、…手品を見た気分というか、…
早っ!、…っていうか」
「はあ?…早いって何が?僕の風呂?」
「……ううん」
ぶんぶん、と首を振った。
「…うまく説明できない。気にしないで、那岐」
「……なんか、わけわかんないんだけど」
那岐は少し唇をとがらせてガラスのコップで麦茶を呷った。微笑む風早と狐につままれた
ような顔をした千尋。…静かな無表情だった忍人が、ほんの少し、…本当にかすかに、唇
の端を微笑みで彩った。