酩酊 再会したとき、思いがけず晴れ晴れと楽しそうな顔をしていたのが、悔しかった。 騒がしい夕食や夜景鑑賞を終えてホテルに戻ったのは10時近かった。大地は慌てて律に 入浴を促し、上がってきた律と入れ替わりに自分もシャワーを使う。 ホテルに備え付けのすとんとした寝間着で、大地が髪をふきふきバスルームを出ると、律 はぼんやりとアームチェアに腰掛けて所在なげに携帯をいじっていた。いつもなら常に手 元にあるヴァイオリンも楽譜も、この慌ただしい旅には持ってこられなかった。それもあ ってか、手持ちぶさたで仕方がないらしい。 「…六甲山はどうだった?」 二つのコップに水を満たして、大地は律の前に腰掛ける。まだ水分を残した髪を重く揺ら して、律はかすかに首をかしげた。 「陶芸をした」 「へえ」 意外な答えに、大地は軽く目を見開く。 「…それはそれは。…響也や冥加たちもかい?」 「いや、響也たちはフィールドアスレチックの方に行ってしまった。陶芸をしたのは俺と 東金と八木沢だ」 「それはなかなか、豪華なメンバーだ」 大地が苦笑すると、そうか、と、律は不得要領な顔をする。 「そうさ。…作っているところを見てみたかったな。何を作ったんだい?湯飲みとか?」 「ちょうどその写真を見ていた。…八木沢は器用だった。東金は、…何というか、芸術的 だ」 見るか、と差し出された携帯の画面を見て、…大地はまずどこからコメントしようかと、 一瞬言葉を探してしまった。 「えーと、…これは箸置きかな。…これがきっと八木沢の作ったものなんだろうな、上手 だ。……それで、その」 八木沢への批評は簡単だ。だが。 「その…この怪しい置物が」 「植木鉢だそうだ」 「…植木鉢ぃ?」 思わず叫んだら、こらえきれなくなった。盛大に吹き出して笑い転げる大地に、律も唇に 苦笑を浮かべる。 「…ああ、すごいな東金は。真似できない」 「真似しなくていい。どうせするなら八木沢にしてくれ」 「そうだな、そうするよ。……ところで、律のは?」 写真に写っているのは怪しい植木鉢とかわいい箸置きだけだ。八木沢と同じ箸置きを、律 も作ったのだろうか。 律は小首をかしげるだけで何も言わない。 「律?」 もう一度促す。するとようやく一言だけ返事が返ったのだが。 「秘密だ」 …とは、また。ずいぶんそっけない。 「焼いたものを宅配してもらえるように手配したから、届いたときに見せる」 「お楽しみってわけ?…わかった、了解」 言わないと決めたときの律は、大地がどう促そうと決して言わない。大地は素直に引き下 がった。すると、今度は律が、それで、と大地を促した。 「…何?」 「そっちはどうしてたんだ?」 「こっち?」 大地は会話に夢中で忘れていたタオルで、適当にまた髪を拭き始める。 「んー、異人館見て、ケーキ食べて?…まあ、これぞ神戸!って感じかな。……そうそう、 こっちもおもしろい写真を撮ったんだよ。見るかい?」 差し出された携帯を見て、律が絶句する。律の様子を見て、大地はくすくす笑った。 「みんなノリノリだろ?お互いに張り合ったもんで、無駄に盛り上がったよ。ひなちゃん は少々困惑してたけど」 「……だろうな」 律も苦笑する。 「でも、楽しそうだ」 その何気ない言葉は大地を強張らせた。 「…そう見える?」 眉をしかめてのぞきこんでくる大地に、律もいぶかしげに眉をひそめた。 「…大地?」 「律は、楽しかったかい?」 「……」 「……俺は、淋しかったよ」 律の濡れた髪を、大地は自分のタオルでぐいとぬぐった。 「…大地」 「…正直、俺が異人館の方に行くと言ったら、律も来てくれるんじゃないかと思ってた。 ひなちゃんも興味を示していたしね。…でも、律は来なかった」 がしがしと律の髪を拭きながら、大地は淡々と語る。律は頭を揺らされてもされるがまま になっている。 「ひなちゃんを土岐と天宮に預けるのもぞっとしないから、異人館には行ったけど、そう でなかったら、俺も山!って手を上げていたと思うな」 ねえ、律。どうして?…口にはしないが、大地の言葉は暗に律にそう問うていた。 「……小日向が異人館に行くと言っているのに、響也が冥加と張り合って一緒に山に上が ると言ったから」 律の言葉はいつになく歯切れが悪い。 「トラブルになるのは目に見えていた。放っておくわけにはいかない。……とはいえ結局、 天音の一年生が間に入ってくれて、俺は何をすることもなかったんだが」 「…そうか」 大地はため息をふっと吹いて。 「やっぱり友情は兄弟愛に負けるかな」 わざとらしくうそぶいた。 「大地」 律はせつなくて眉を寄せる。その苦しげな声に、ようやく大地は優しく笑った。 「ごめん。…少し拗ねてみたかったんだ」 さらり、律の前髪を指先でもてあそぶ。大地の掌越しに、律は必死にその目をのぞき込も うとした。 「大地。俺だって本当は」 言いかけた律の唇を、大地はそっと人差し指一本で塞ぎ、 「わかってる。…俺だってそうだ。……本当は、律と一緒にいたかった」 さらりと前髪から離した掌で律の頬を包んで、…こつん、と額を額に重ねた。 「保護者意識に振り回されてないで、素直に自分の感情に従うべきだったな。…反省して るよ」 「…うん」 大地の額が熱い。…いや、熱いのは自分の額か。…どっちだか、もうわからない。 大地に触れているだけで、律はいつも軽い酩酊を覚える。身体がじわり熱くなる。くるり、 世界が回る。 「……というわけで、反省をふまえて、俺は自分に正直になることにしたよ」 律の状態を知ってか知らずか、大地は朗らかに宣言した。 「明日は絶対、一緒にいよう。…二人でいればそれがどこでも、どんなことでも、きっと 楽しい」 「…それは同感だが、…一つ訂正してくれ」 「ん?何?」 「明日からじゃなくて今から、…今日これから、ずっと一緒にいよう」 離れないで。離さないで。 自分の前髪を遊ばれたお返しに、律はつんと大地の前髪を引っ張り、にこりと笑った。 大地の世界もくるりと回る。酔ったように瞳がとろけて。返る言葉は一つきり。 「もちろん」