目隠しケーキ 「部長の負けですね。命令カードを引いてください」 冷静な後輩に宣言され、千秋は首をすくめた。 神南の定期演奏会の打ち上げパーティーは余興でゲームをやるのが常だが、今回は少し趣 が違った。命令カードとかいうものを後輩が持参してきたのだ。負けた者にはいつも罰ゲ ームが科せられるのだが、その罰ゲームの内容がマンネリになってきたので、今回はこの カードに書かれたことを実行してもらってはどうかということで。 女性も多いしあまり羽目を外しすぎるのもよくないと、蓬生は芹沢と一緒に、事前に一応 内容を確認した。さほど度を超したものはなかったので、これならいいかとゲームに使う ことにしたのだったが。 千秋はにやにやと笑いながら、どのカードを引こうかと指で迷っている。カードは全て裏 を向けてあるので内容は見えない。だがずいぶんと時間をかけて選んでいる。 蓬生は小さくため息をついた。 いつもひらりひらりと華麗に勝ち続ける千秋が負けるなんて珍しいこともあるものだと思 ったが、どうやらカードの内容に興味があってわざと負けたらしい。…絶対そうとは言い 切れないが、あのうっすらと笑っている顔は、何かを楽しんでいる顔だ。 −…千秋らしいというか、なんというか。 軽く首をすくめたときだ。 「これだな」 そうつぶやいて、千秋がさらりとカードを引いた。内容を一瞥して片眉を上げる。口に出 しては何も言わないので、まず蓬生が、そして追いかけるように芹沢が問うた。 「何引いたん?」 「何ですか?」 千秋はにっと笑って、自分が引いたカードを二人に見えるようにひらひらさせた。 「『目隠しでケーキを食べさせる』…?」 芹沢が、まず復唱してから、ほんのりと困った顔になった。 「目隠し…どうしましょう。何か適当な布があればいいんですが。…ネクタイ、というわ けにもいかないでしょうし…」 生真面目な後輩はどうでもいいことに真剣に悩んでいる。そんなんどうでもええやん、と 蓬生が口を開くその前に、千秋がさらりと肩をすくめた。 「いらねえよ、別に。目隠しすりゃいいんだろ?」 言って、 「悪いな、蓬生」 蓬生の眼鏡を取り上げる。 「…は?」 戸惑う間すら与えられなかった。 「…ちょ!」 千秋の左手が蓬生の両目を塞ぐ。 「千秋!」 「…いい子で、口開けろ?」 「なっ、……」 何をする、と開けた口に、ずい、と強引に、それでいて優しい手つきで、フォークで一口 分に切り取られたケーキが押し込まれる。反射的に口を閉じると、口の中にケーキを残し てフォークが去っていき、 「…粗相した。すまん」 甘く艶のある声がいつもよりも低く響いて、親指と人差し指(見えていないのだがおそら くは)が口端についたクリームをぬぐう。 「・・・・・」 場が一瞬、静まりかえった。 千秋と蓬生がじゃれあうといつもなら上がる黄色い悲鳴があがらない。 だが、誰かがごくりとつばを飲むような音を立てたとたん、 「きゃーーーーーーっ!!!!」 その場にいた全員が、…男も女も全て叫んだかと思うくらいの音量で悲鳴が上がった。 ふ、と吐息をこぼすような千秋の笑い声に、その手で目隠しをされたまま、蓬生は深々と ため息をついた。 「ん?どうした?」 「…千秋」 「…部長」 蓬生と芹沢の声はハモった。 「これは、食べる人に目隠しをするんじゃなくて、食べさせる部長が目隠しをして手元が 見えない状態で食べさせようとして、上手く食べさせることが出来ずに失敗するところを 笑う、的な命令だと思いますが」 「食う奴が目隠しされてケーキ食べさせられるやなんて、単にエロいだけで笑いも何もな いやろ」 むっとした声で言ってから、蓬生はぼそりと千秋にだけ聞こえる声でつぶやく。 「……間違うてるて、わかってて、やったやろ」 千秋は答えず、代わりに目隠ししていた手を放して蓬生に眼鏡をかけ直した。まばたきし てから目を開けると、千秋ははっとするような色気のある顔でケーキを手に笑っていて。 「続きは後で、二人きりでしようぜ」 懲りていない幼なじみに、蓬生はグーで一発制裁を食らわした。