もみの木 「明後日のイヴは、終業式の後OB会のコンサートか。学校が終わったらその足で手伝い に行って、コンサートを聴いて、片付けをまた手伝って…」 「きっと、片付け終わったら、もうくたくたで終わりだな。あんまりクリスマスらしくな いクリスマスになりそうだ」 淡々とスケジュールを確認する律を、ぼやきと苦笑が混じった声で大地が混ぜっ返した。 だが、混ぜ返された律は少しきょとんとした顔で首をかしげ、 「クリスマスらしいクリスマスって?」 と問うてきた。 ……問われると、答えに窮する。ガールフレンドがいた時は、大地もクリスマスにデート っぽいことをしたが、当時はまだ中学生だったこともあって、クリスマスケーキを食べて 港の夕景を眺めただけだった。家族も、クリスマスだからと何かすることはあまりなかっ た。共働きだし、平日ならまだ診察がある。せいぜい大地が買ってきておいたケーキを、 家族三人でつつくくらいが関の山だ。 「…まあ、普通に。ツリーを飾って、ケーキを食べて」 もごもごと言葉を濁し、つっこまれる前に、律は?と聞いてみた。 「…俺?」 「そう」 「……。そうだな。俺も普通だ。いつも幼なじみの家でツリーを飾ってケーキを食べて、 そのあとひたすら弟や幼なじみとヴァイオリンを弾き続ける」 …クリスマスだろうが何だろうがヴァイオリンなんだなあ、と、大地は少しおかしくなっ た。 「クリスマスソングを?」 「そう。…でも最初は必ずこの曲だ」 律は片付ける途中だったヴァイオリンをすっと取り上げて、短い曲をさらりと弾いてみせ た。あまり聴いたことのない曲だが、単調で明るいフレーズは外国の民謡風だ。大地が考 え込むより先に、律から解説が入った。 「マザーグースの一曲なんだそうだ。コールの王様は陽気な王様、とかなんとか。歌詞の 中に三人のヴァイオリン弾きが出てきて、それが俺たちにぴったりだと、いつも幼なじみ のおじいさんからリクエストされた」 言って、もう一度その短いフレーズを弾く。明るい曲なのに、いつもは三人で弾いていた という話を聞いた後だと、物足りないような淋しさを感じる。 「……律の弟と幼なじみは、今年は二人でコールの王様を弾くのかな」 「かもしれないし、三人そろわないならリクエストされないかも」 淡々とした律に、大地はあえて聞いてみた。 「……さみしい?」 「いや」 あっさりと応じながらも、律の目はどこか遠くを見ている。 …その目を見ている大地のほうがなんだか無性に淋しかった。律の視界に自分がいない。 自分では律の淋しさを埋められないのではと不安になる。 …振り向いてほしくて、大地は唐突に律にねだった。 「…律。せっかくヴァイオリンを持ったんだ、なんでもいいから、クリスマスの曲を弾い てくれないか?」 律ははっと我に返った。視線が大地に戻ってくる。その瞳にくっきりと自分が映っている ことに、大地は独占欲に似た満足感を覚えた。 「…急に、どうした」 「聞きたくなったんだ」 「俺が弾かなくても、街中クリスマスソングが流れてるじゃないか」 「律のヴァイオリンで聞きたいんだよ」 「……」 困ったものだと言いたげだった顔が、しかたがないなとゆっくり優しくゆるむ。…その目 が不意に、きらりとまたたいた。 「…じゃあ、大地が一緒に弾くなら」 …っ? 「……俺も…?」 「俺は大地のリクエストに応えるんだ。…当然大地も、俺のリクエストにも応えてくれる だろう?」 「でも、楽譜なしじゃあ、俺はまだ」 ヴィオラを始めて9ヶ月。まだまだ初心者の域を出ない自分のヴィオラで、いったい何が 弾けるものやら。 「一回目は俺一人で旋律部分だけを弾くから、二回目は大地が旋律をとってくれ。俺が適 当に合わせる」 「そんな高度な」 「出来るさ。短い曲だし、きっと大地も知ってる」 有無を言わさず大地にヴィオラを準備させて、それからゆっくりと律は弦を震わせ始めた。 その優しい音色の最初のワンフレーズで、大地もすぐ曲をさとる。 ♪もみの木 もみの木 おいやしげれる もみの木 もみの木 おいやしげれる 『もみの木』だ。確かに知っている。思わず歌を口ずさみそうになってしまった。 ♪木陰をさまよい かたりし思い出 もみの木 もみの木 今なおこいし 律の目が柔らかく笑い、弾きながらあごで大地にヴィオラを促す。 …ままよ、と心を決めて、大地も弦に弓をあてた。 ヴィオラがやわらかく甘く鳴る。律がヴァイオリンで奏でたものより低く歌うそのメロデ ィは、どっしりとした古い木のようで、そこに律がのせる軽快なトレモロは、風にあそば れる枝葉の葉擦れのようだった。 曲が終わりそうになると律が微笑みながら目線でまだだとうながす。促されて繰り返すた び、大地のヴィオラを幹として、律のヴァイオリンはもみの木に降り積む雪になり、木の 洞で遊ぶリスになり、枝で休らう小鳥になった。 「やっぱり、ヴァイオリンだけとは違うな」 弾きながら、律は噛みしめるようにつぶやいた。 「同じことをしたことがある。弟に旋律をまかせて、俺が自由に遊んだり、俺が旋律をと って幼なじみが合わせたり。……確かに楽しかったが」 大地は静かに旋律を弾き終えた。合わせて律が最後の音を高く甘く歌い上げる。 「……楽しかったが、……今日の演奏の方が好きだ。大地と弾くのはおもしろい。いろん なイメージがどんどんどんどんわいてきて、自由で、……」 ふと、律がまっすぐに大地を見た。…そして、笑う。 「…一緒に弾いてくれて、ありがとう、大地」 ……。 胸が詰まって、震えて。…大地は声を出すのに、一度ごくりとつばを呑み込まねばならな かった。 「それは俺のセリフだよ。……ありがとう、律。…ちょっと早いけど、いいクリスマスプ レゼントになった」 一緒に弾いた曲も、律が語ってくれた言葉も。これ以上ない贈り物。 「…俺は、律に会えてよかった」 その大地の言葉はあまりに唐突だったのだろう。律は軽く目を見開いて。……けれど。 「……それこそ、俺のセリフだ」 これ以上ないほど美しく、笑ったのだった。