もっともっと


つまらないことで賭をして、つまらない話だが負けてしまった。
目の前でにやにやしている相手をぎろりと睨み付けてからふいとそっぽを向き、
「ほんで、何したらええん」
ふてくされた声で蓬生は言った。
じゃ、ちょっと待ってて、と、…何故か大地は立ち上がった。
キッチンで冷蔵庫を開けている。物音を背中で聞きながら、蓬生は小さなため息をつく。

−…何でなんやろなあ…。

千秋の前では出てこない自分が、大地といるとどんどん出てくる。度の過ぎるからかいを
言う自分。相手にのせられてうっかりと墓穴を掘る自分。いじけて拗ねて、そっぽを向く
自分。
「…お待たせ」
蓬生の悶々とした思考など知らぬげに、小皿を持って戻ってきた大地はにっこりと笑った。
……その小皿の上に、チーズ。
……げえ、と、蓬生は声を上げた。
「ゴルゴンゾーラやんか」
蓬生の一番苦手な類の食べ物だ。
「俺が嫌いなん、知っとうくせして」
「知ってるさ、もちろん」
大地はへらりと笑った。
「嫌いなものじゃなきゃ、罰ゲームにならないだろ?…はい、どうぞ召し上がれ」
「……根性悪」
「…どうかなあ?…お互い様だろう?……どうせ俺が負けたら、君はその甘そうなホワイ
トチョコを食べさせるつもりだったんじゃないのかい?」
大地が指さしているのは、蓬生が土産にと携えてきたショコラトリーの箱だ。開けてもい
ないのになぜわかると問いたいが、大地の指摘通り、この中にはホワイトチョコとダーク
チョコのトリュフが半々に詰められている。ダークチョコだけの詰め合わせがなく、余れ
ばどうせ実家にでも持って行くだろうと思って買い求めてきたのだが、賭をして罰ゲーム
をすると決めた時点で、大地にこれを食べさせればいいと考えたのは事実だ。
「……」
「負けたら罰ゲーム。……かまへんで、って、受けたのは君だよ、蓬生」
「…わかっとう」
それでも、はあ、と思い切りわざとらしくため息をついてみせて、……ままよ、と蓬生は
チーズを口に入れた。
ゴルゴンゾーラの何とも言えない臭みと刺すような辛さが口に広がる。思わずぎゅっと目
を閉じた蓬生だが。
「……ん?」
思いがけず、味はそう悪くない。ゴルゴンゾーラ独特の風味はあるものの、刺すような辛
さは少なく、まろやかでむしろほんのり甘く感じるほどだ。…いや、実際に甘いというわ
けではなく、覚悟していた味と比較して甘く感じるという程度だが。
「……ん??」
味わってみて、再び蓬生は首をかしげた。目の前でテーブルに頬杖をついていた大地が、
少し笑った。
「案外いける、…だろ?」
「……」
目を合わせるとにこりと笑って、大地も一切れ口にする。
「こないだ見つけたんだ。パッケージにドルチェって書いてあったから、甘いんですかっ
て聞いたら、砂糖みたいに甘いわけじゃないけど食べやすいですよって、味見させてもら
って。……悪くないなと思ったから」
……満足。
大地がほくほくとそうつぶやいたので、何が、と蓬生は問う。
「蓬生がさ。…あれ?って意表をつかれるところ、見てみたいと思ってたんだ。いつもい
つも、俺は大人だよって取り澄ました顔してるけど、俺はどちらかというと、蓬生の子供
っぽいところが好きだよ」
「……っ」
耳が赤くなった。…自分の耳など見えもしないのにそう自覚するのは、じわじわと血が集
まるような感覚がするからだ。……何言うてんねん、こいつ、という気持ちと、好きだと
いう言葉をじわりうれしく思う気持ちが交錯する。
気付けば思わず蓬生は口走っていた。
「……阿呆か」
「ん?」
大地はその言葉に傷ついた様子もなく、ただぱちぱちとまばたいてみせる。
「年下のくせに、えらそうに」
「…うん。…そうだな、たぶん、年下だから、蓬生の子供っぽいところが見たくなるんだ。
…もっともっと、って思うんだ」
…好きだよ。
テーブルの上に手を突いて、身を乗り出して。…のけぞる蓬生を許さずうなじを抱いて、
……耳朶に唇を寄せて。
「好きだ。…もっと拗ねて、もっと怒って、……もっと泣いて笑って。……全部、見たい
よ」
「………あほ」
唇をふさがれる。
チーズの味のキスなんて、あんまりええもんやないやろ、と思った蓬生だが、舌先に翻弄
されていくうちだんだんと、とろけるような甘さと、しびれるような心地よさで、チーズ
の味が消えていく。
「……」
大地は、蓬生自身すら知らない自分をどんどん引き出してくる。…感情的な自分、子供っ
ぽさを容認する自分、……快楽に、ひどく弱い自分。
突き上げてくるような感覚に耐えかねて、すがりつくように大地の袖を握りしめると、一
旦唇を離した大地が苦しげに
「あおらないでくれ」
とつぶやいた。
「…人のせいにせんといて。……自業自得や」
自分の声の切なさが、蓬生だって顔から火が出るほど恥ずかしい。……それでも。
「…いろんな俺が見たいんやろ。…我慢きかへん俺も、見たいんちゃうん」
精一杯の強がりであおってやると、
「……っ」
大地は切なさを必死にこらえる顔で、真っ赤になった。
その表情が、蓬生を少し落ち着かせ、そして浮き立たせる。

−…もっと、……もっと見せて。…余裕のない大地を、もっと見たい。

共有し合いたい。誰も知らない、自分自身ですら知らない、自分たちの姿を。……暴き合
って、さらけ出して。……もっともっと。
やわらかいラグの上に倒れ込みながら、蓬生はうっとりと目を閉じた。