名残の月 彼からの連絡はいつも唐突だ。そして大地の反応を待たない。 「榊くん、窓開けて空見てみ。…そっち、晴れとう?」 その声に逆らえない自分を嗤いながら、大地は言われたとおりに窓を開ける。時間は9時 半。彼にしては珍しく、普通の時間だ。 「晴れてる。…ああ、いい月だな。まだ少し満月には早いようだけど」 「十三夜や。…後の名月、名残の月」 「…名月?…満月じゃないのに?」 「中秋の名月はほんまの満月を見るけど、名残の月は、少し欠けたところを愛でるんよ」 それで俺に電話かい?…と、大地は卑屈に笑い出したくなるのをぐっとこらえた。 …なあ、土岐。…やっぱり、君にとっての満月は東金で、俺は欠けた月なのかな。 「窓を開けたらあんまり綺麗で、…榊くんに見せたなった」 大地の沈黙を意に介した様子はなく、蓬生は淡々と一人語る。 「…知っとう?この十三夜の月は、『十三夜様』って呼ばれてて、拝んだら願いが叶うっ て言うてるところもあるんやて」 榊くんやったら、何を願う? 歌うように誘う、低く甘い声。目を閉じて携帯を耳に押し当てると、彼が傍らにいるよう で。 …けれど目を開けば、ここにはやはり、白く皓々と輝く月と自分だけ。 ならば、願うことなど決まっている。 「…土岐に会いたい」 「……っ」 誘ったくせに、その答えは予想していなかったのか。…電話の向こうで蓬生が息を呑む気 配がした。動揺を静めるような沈黙の後、蓬生は違和感を感じるほど明るい声で大地の言 葉をちゃかした。 「えらいかわいいこと言うからびっくりしたわ。…てっきり、大学合格とか言うと思たの に」 「そんな即物的なことを月に願うほど、朴念仁でもないよ。……俺が君を請うのはおかし いかい?……いや」 会って触れて抱きしめて。…その声をじかに聞きたいと願うのは、俺だけかい? 「この美しい月を俺に見せようと思ったとき、…土岐も少しは、俺に会いたいと思ったん じゃないのかな」 「…そんなん」 ぼそりと言って、土岐は口をつぐむ。…大地は強い声で促した。 「言って」 「……何を」 「会いたいって。…俺に」 「そんなん、言われへん」 「何故」 「…言うたら、ほんまに会いたなる」 「俺は会いたい」 「榊くん」 苦しそうに名を呼ぶ。逃げだそうとしているのがわかる。けれども。 「会いたい。土岐。会って抱きしめたい。キスしたい」 追い詰めて。ねだって。すがって。 「………っ」 月が輝く。 短く鋭く息を吸って、やがて。 …蓬生は折れた。 「……会いたい」 ただ一言はせつなく苦く。大地は携帯を抱きしめるように両手で持ち、耳に押し当てて空 を見上げる。 同じ月を見ている。同じ月に願っている。 あなたに会いたい。ただそれだけ。