ナイショ

那岐は千尋を捜していた。楼台にも堅庭にもいない。
「後見てないのは回廊か。…いるかなあ」
顔をのぞかせると、入口のすぐそばで布都彦と忍人が話していた。
「あ。…ねえ、布都彦、忍人。…千尋知らない?」
忍人は眉を上げ、
「いや俺は…」
と首を振ったが、布都彦は、
「姫なら、風早殿を供に連れて温泉にいらっしゃったが」
と折り目正しく返答した。
「ええ!?温泉!?」
声を上げたのは那岐で、
「……温泉……」
何か言いたげに言葉を濁したのは忍人だ。
「ちぇ、温泉じゃしばらく帰ってこないだろうな。話したいことがあったのに」
唇をとがらせながら、那岐は傍らの忍人を見て、その脇腹をつついた。
「…あのさ。…なんとなく言いたいことはわかるけど」
「…?」
忍人はつつかれた脇腹を肘でかばい直して那岐を見る。
「温泉などとのんびりしている場合か、とか思ってるんだろ。でも、千尋にも休息は必要
だからね」
「…わかっている」
おそらく那岐の言葉はある程度図星を指したのだろう。かすかに耳を赤くして、忍人はそ
っぽを向いた。
「…でもいいなあ、温泉かあ。僕もついて行けばよかったな」
「しかし、那岐は一緒に湯に入るわけにはいかないだろう」
「だれも一緒に入るなんて言ってないよ!」
生真面目に布都彦に指摘されて、那岐は少しむっとして言い返した。
「でも千尋が出てから入るとか、他の場所で入るとかできるだろ」
あああ、行きたかった、と少し拗ねた口調で言うと、忍人がふと微笑む。
「…那岐は風呂が好きだな」
「気持ちいいじゃないか、さっぱりして。…忍人は嫌いなのか?」
「…別に、好きでも嫌いでもない」
「……ああ、なんかすっごく忍人らしい答え」
そもそも千尋以外で好きなものあるのか、あんた!と那岐がつっこもうとしたとき、そう
いえば、とぽつりと布都彦が言った。
「夕霧殿も湯浴みはお好きでいらっしゃるのに、なぜご一緒なさらなかったのだろう。姫
も、お一人で入るより楽しくていらっしゃるだろうに」
「千尋と一緒に入るわけにはいかないからだろ」
那岐は眉をしかめた。
「……なぜだ?」
「だって、夕霧男だし」
「…………え。………ええええええっ!?」
布都彦は素っ頓狂な声を上げて真っ赤になった。そのままぱくぱく口を開けたり閉じたり
して絶句する。その反応に那岐の方が驚いた。
「気づいてなかったのか!?」
「なぜそんなことがわかるんだ!?」
布都彦は那岐の疑問に疑問で叫び返す。
「男って、……男って、男性ってことか!?」
「………混乱しているんだな、布都彦……」
あわあわしながら言った布都彦の台詞に、忍人は気の毒そうな顔でつぶやく。
「な、ど、どうして、葛城将軍は驚いていらっしゃらないんですか!?」
「忍人は気づいてただろ?」
那岐が聞くと、忍人はあっさり肩をすくめる。
「ほら。みんなたいてい気づいてたよ。気配でわかる、気配で。気が女性のものじゃない
よ。男性だよ」
「け、け、気配と言われてもっ」
おろおろおろ。助け船を出そうとしてか、忍人が言葉を足す。
「あとは、手か。普段袖で隠しているが、あの手の骨格と筋の付き方は男性のものだ」
「ふうん、忍人はそういうところを見ているんだ」
「…手を見るのは性分なんだ。…使い手かどうか、すぐわかる」
「……根っから、武人なんだな、あんた」
感心している那岐の向かいで、男性、…男性、男性…と布都彦がぐるぐるつぶやいている。
「…衝撃だったのはわかったけど、布都彦。そろそろ立ち直れよ」
「だ、だが、あの、その…」
あー。これは当分駄目だ。
「…僕は、行くよ。千尋がいないなら、ここに用事はないからね」
「那岐、姫に何の用だったんだ?」
「ん?…ああ、堅庭の木にね……」
言いかけたが途中で口をつぐみ、にや、と那岐は笑った。
「ナイショ」
なんだそれは、と忍人が眉を上げると、
「知りたかったら一緒においでよ」
けろりと那岐は言う。
「……は?」
「千尋に一番に見せようと思ってたけど、僕をおいて温泉に行っちゃったし。…忍人にな
ら、先に教えてやってもいい」
「…しかし」
「どうせ、布都彦はしばらく使い物にならないよ」
その言葉に、忍人は布都彦を振り返った。……彼はまだ、ゆ、夕霧殿が男性とは……と、
ぶつぶつつぶやいている。
「…ね」
「……確かに」
口元に手を当てて苦笑を隠し、忍人も肩をすくめた。
「では、教えてもらおうか」
「ついでに昼寝する?」
「……君の場合は、教えてくれるのが昼寝のついでなんだろう、どうせ」
「わかってきたじゃないか、忍人」
晴れやかに笑うと、那岐は身を翻した。ゆっくりとその後を忍人が追う。呆然としたまま
の布都彦一人、回廊に残って。
…回廊の扉が、ぱたんと閉じた。