南溟


「…思ったようにはいかないもんだよなあ…」
楼台のど真ん中に座り込んで、サザキは小さくため息をついた。一人言のつもりだったの
だが、こつん、と足音がして、はっと振り返ると、
「…何の話だ」
忍人が立っていた。
「……。…珍しいな、…将軍様がこんなとこに。…定位置は堅庭だろう?」
忍人が天鳥船の中で好んで良くいる場所をあげて少しふざけてみせると、冷静で無表情な
忍人の顔にかすかに笑みが動いた。
「風早がいるかと思って寄ったんだ。…それより、さっきの言葉は何に対するものだ?」
…あー、そこの追求はやめないわけね、と、サザキは首をすくめた。
「…たいしたことじゃない、…っつってごまかして、ありもしない腹を探られるのもつま
らねえしな。……船のことだよ」
「船?」
「そう」
サザキはわざとらしくおおげさに肩をすくめてみせた。
「この、俺たちの隠れ家が実は船で、しかも空を飛べるって知ったとき、俺は快哉を叫ん
だわけだよ。やった!これで自由にどこにでも行ける、大陸だって探しに行ける!…って
な」
ふー。と。…先ほどまでの感慨を思い出して、サザキは思わず深いため息をつく。
「…けど実際は、この船、俺の言うことなんか聞きやしねえ。一応舵は握っちゃいるが、
俺の舵取りなんておかまいなしで、あっちへひょろひょろこっちへふらふら、…挙げ句の
果てに勝手な場所でどすんとおちやがる」
「……」
忍人は無言のまま腕を組んだ。
「……つまんねーな、と思ってさ。この船となら、大陸どころか世界の果てだって見に行
けるって思ったのによ」
「……世界の」
だんまりを続けるかと思った忍人が、ふと口を開いた。
「…世界の果てなど、見ない方がいい」
「……!?」
しかし彼が告げたのは、サザキにとってはかなり納得のいかない一言で。
「はあ!?何で!?」
思わず叫ぶ。
「冒険心の足りない奴だなあ!大海原の果てに何があるのか、自分の目で確かめるのが海
賊の…いや、男の心意気ってもんだろう!」
あーもうやだやだ、これだから将軍様は!とぶつぶつサザキが言うのをさらりと聞き流し、
忍人はまっすぐな目でサザキを見た。
「…海原の果てに見つけるのが新しい世界なら、それはもちろんいいだろう。……だが、
海原の果てに世界の終わりを見つけてしまったら、それ以上何を捜す?」
彼の声は冷静の上にも冷静で。…そのくせ、どこか熱くて。……サザキをはっとさせる。
「……」
「…世界の終わりを見てしまうのは、…それこそ、お前の言葉じゃないが、つまらないだ
ろう?」
「…それ、は」
サザキにとって、思いがけない言葉だった。だがよく考えれば忍人の言うとおりだという
気もした。
世界の果てはつまり世界の終わり。…世界の終わりは夢の終わり。
「……俺ならば」
サザキの動揺を見て取って、忍人はやや目をそらした。
「世界の果てを見つけるよりも、見渡す限り青く広がる南溟の中に、ぽつりとおちた緑色
の宝玉のような小島を探すのがいい」
サザキを気遣ってか、忍人の声は穏やかに、やわらかくなった。……変わらないのは、彼
には珍しいほど熱っぽい、その響き。
「その小さな島の奥、…誰も知らない洞穴に、月の雫のような真珠が眠っている。…まだ
誰も見たことのない美しい宝物だ。探し当て、たどり着いた者だけが手にすることの出来
る至高の宝玉」
ふ、と、…忍人の唇をついて出る、うっとりとしたため息。
「そういうものを見つける方がよほど、楽しいのではないか」
「……」
サザキはぽかんと口を開けた。目も見開いた。
忍人はふと我に返った顔でいつもの冷静な表情を取り戻し、改めてサザキに向き直って、
……怪訝な顔をした。
「…何だ」
「何だ、って」
「ぼうっとした顔をしている」
「…ああ、そっか、…いやな、その、……お前、海賊の素質あるわ、忍人。…というか、
なんだ、……その……」
サザキは言い淀んで、ふと笑った。
「…お前の紡ぐ夢は、綺麗だな。……ずっとその言葉を聞いていたい」
忍人は困惑した様子でふいとまたそっぽを向く。
「…海賊ならば、これくらいの夢、自分で紡げ」
「だって、俺、物知らねえもん」
サザキはそう言い切って悪びれない。
「お前の言葉を聞く方が気持ちがいい。……つか、まず、南溟って何だ?」
……はー、と、忍人は露骨にため息をついた。
「海賊と名乗るくせに知らんのか。…南溟は、南に広がる大海のことだ」
「へー」
「……へー、ときたか」
苦虫を噛み潰したような顔になった忍人に、サザキは照れ笑いしてみせる。
「はは、…わりい。……でも、言葉知らないけどなんとなく海だなってのはわかったぜ。
遠くて広くて綺麗な海。……お前の言葉、本当に魔法みたいだ。お前が言うと、すべてが
真実あることに聞こえる」
「……」
サザキの熱っぽい声に、忍人はやや困惑したようだ。目をそらし、そらしてもしかたがな
いと思ってか、ややうつむき。
「……風早を捜していたんだった。……俺はもう行く」
背を翻す。
「……あ」
サザキがあと一言かけようと思ったときには、その背は既に楼台の扉をくぐって消えてい
た。
「……」
見送って、ため息一つ。
心にあんなに美しく自由な幻想を抱ける男が、一つの国に仕え、その国の外を見ようとも
しないのは、いかにもつまらないことだと思う。彼ならば、どんな世界にでもその夢を広
げることが出来るだろうに。

−…だから、さ。……一緒に行こうぜ、忍人。

その思いつきはサザキの気に入った。楼台の舵に腕とあごを預け、彼はくすくすと笑い出
す。

−…嫌だと言ってもいつかお前をさらっていってやる。お前が描いた夢の中へ。

南溟に浮かぶ、緑なす宝珠の島へ。……いつか、きっと。