南天

衣擦れの音が近づいてきて、ふと止まる。
薬草の茂みから那岐が顔を上げると、狭井君が薬草園の南天の木をぼんやりと見ていた。
「…何か?」
声をかけると、狭井君は、あら、そこにいらしたの、と穏やかにつぶやいて那岐を見る。
「ある神への供物に、実のついた南天の枝がいるのですけれど、思うような枝ぶりの木が
なくて。…でもこの枝は素晴らしいわ。…よければ少しいただけないかしら」
那岐は一瞬ひょんと目を丸くしたが、少し笑って、どうぞ、と言った。
「好きなだけ切っていって」
「…ありがとう」
狭井君はふところから小刀を出すと、指で枝の切りどころをさぐり、ゆるゆると切り始め
る。茂みの中から作業を眺めていた那岐は、その背中をしばらく眺めていたが、やがて、
ねえ、と声をかけた。
「…刃物を使ってるときに話しかけても、大丈夫かな」
「かまいませんよ。…もう終わりますから」
言葉通り、ちょうど枝を切り落として、実を落とさないようにそっと腕で抱えながら、何
かしら、と狭井君は微笑んで振り返った。
「あのさ、…その…あなたとこんなふうに二人で話すことはあまりないから、…いい機会
だし、一つ聞きたいことがあるんだけど」
「ええ、どうぞ」
ふっくりと微笑んでうながすように首をかしげる。その目を、探るように那岐はのぞき込
んだ。
「…あなたは、…俺の両親が誰で、今どこにいるか、…知ってる?」
「……」
狭井君は微笑んだままだが、その笑みがゆるりと色を変えた。
「…そうね、……心当たりはありますよ。…かもしれない、という方ね」
「断言はしないんだ」
「私は慎重な性分なのよ」
笑ったまま淡々と言うのがなんとも狭井君らしい。那岐は薄く笑った。
「…じゃあ、心当たりでいいよ。…教えて?」
狭井君はやや回廊の柱に寄りかかった。そしてかすかにあごを上げ、小さな中庭の上にあ
る四角い空を見上げて、那岐から目をそらす。
「…あなたのお母様かもしれない方は、…なくなられました。産褥で」
「…」
那岐は息を呑んだ。死んでいるかもしれないとは思っていた。…だが。
「生まれた赤ん坊は死産だったと説明されたわ。…それ以上のことは、何も」
ゆるりと首を振る。そして、それから、と言葉を継ぎ。
「あなたのお父様かもしれない方も、橿原宮に攻め込まれたときの戦乱の中で亡くなられ
ました。…行方不明かもしれないという希望を持たせてあげられればいいのだけれど、…
残念ながら、王族の方は皆、私どもの手で葬りましたので、…死亡は確認しています」
「……そう」
「…」
狭井君はゆっくりと、眉をひそめた。
「…聞いて良かった?」
「…もちろん。…なぜ?」
「…あまり、いい話ではなかったわ。…ご両親かもしれない方のの死を、確認させただけ」
「うん、そうだけど、……でも、どうせ会えないのなら、死んでいて会えない方がましか
なって、昔から思ってたから」
自分を捨てた両親よりも、育ててくれた人の方が大切だよ。
どこか冷たい声で言う那岐に、狭井君はふう、と息を一つはいた。
「…そうね。……私も若い頃はそう思っていたわ」
「…?あなたも?」
ゆるり、あごのしわをふやすようなうなずきかたをして、狭井君はまた空を見た。
「私は星の一族の出身なの。…星の一族は基本的に直系の、特に女子に強く力が出る。…
私は長の娘の最初の子供で、しかも女子だった。……どれほど期待されたかしれないわ」
……だがその期待された娘は、審神者の力こそ持ち合わせていたものの、星の一族独自の
先見の力は一切持ち合わせていなかった。
「長の娘なのにと後ろ指を指されるよりはと、…父の手で里子に出されたの。里に戻るこ
とは許されなかった。だから、自分は星の一族ではないと思ってずっと生きてきたわ」
里には戻れない。親にも会えない。
「どうせ会えないのなら、生きていても死んでいても同じ。いっそ死んでしまっている方
があきらめもつく。…私もそう思ったことがありました」
南天の枝をそっと撫でて。
「……けれどね、やがて気付いたの。たとえ会えなくても生きていてくれる方がいい。…
だって、状況なんていつどう変わるかわからないもの。…そして、会えなくてもいいと思
っていても、やはり会えればうれしいものですよ」
「…それ…」
那岐が何か言おうとしたとき、こつん、と回廊に足音が響いた。
狭井君の背がすっと伸びる。那岐は振り返って誰が回廊に入ってきたのかに気付くと目を
見開き、にやりと笑った。
「那岐、すみません、少し分けてほしい物が…。……っ!?」
露骨に、おっと、という顔をして、柊がくるりときびすを返す。
その背中に厳しい声が飛んだ。
「逃げるにしても、挨拶の一つくらいしたらどうです。あなたは昔から、行儀作法がなっ
ていません」
「作法は岩長姫に習いましたので」
背を向けたままの言い訳に、狭井君が目を据える。
「まあ。……それを彼女に言ってもよくって?」
「……」
ぐるり、と柊が向き直った。深く頭を垂れて。
「申し訳ありませんでした。それだけはどうぞ、ご容赦ください」
ここまでくると既に漫才だ。たまらなくなって、那岐はげらげらと笑いだした。
「あんたら、師弟漫才コンビで売り出すといいよ」
「…はあ?」
柊がぽかんと目を丸くし、狭井君も小首をかしげる。…ああそうか、漫才もコンビも、こ
こにはない言葉だったと那岐は首をすくめるが、ふつふつとわいてくる笑いがまだおさま
らない。
こめかみを押さえて、狭井君は頭の痛い弟子を一度ちらりとにらんだ。
「…私が先に失礼しましょう。もう用は済みましたから」
南天を抱えて、那岐には笑顔。
「ありがとう、那岐」
…そして背を向けながら、もう一度ちらりと柊に目をやる。その一瞬の眼差しに、那岐は
はっとした。
「…っ、…狭井君!」
思わず那岐は呼び止めていた。応えて狭井君が振り返る。
「…はい?」
「あの、…さっきの、もしかして、状況なんてどう変わるかわからないって」
会えなくてもいいと思っていても、やっぱり会えるとうれしいって。それはもしかして。
…この、不肖の弟子のこと?
くすり、と狭井君が笑う。そして、ふっくらした指を一本、唇に当てて。…何も言わずに
もう一度背を向けた。それが答え。
回廊を出て行く狭井君を見ながら、柊が肩の力を抜いた。やれやれ、という顔をしている
のに、どこか甘えるような子供っぽさがかいま見えて。
他の誰にも、…たぶん師君の岩長姫にすら見せないだろうその顔を、那岐は笑う。
「…なんですか」
怪訝そうに首をすくめる柊の背中を、肘で少しつつく。
「…ここにいられて、幸せだと思う?」
「……あの方の存在も含めてですか?」
「もちろん」
柊は那岐のにやにや笑いを見下ろして、心底厭そうな顔をしたが、…やがて。
「……まあ、そうですね。……あのお小言も、ないとさみしいです」
かすか、…本当にかすか、照れたように告白して、…柊はそっぽを向いた。

秋風に、南天が揺れている。