眠り姫に捧ぐ

夜明け前に目が覚めた。まだはっきり覚醒しない頭で、ぼんやりとかすかな違和感の理由
について考える。ぱりぱりと必要以上にのりのきいたシーツ。いつもよりもかさばるふか
ふかの枕。
……ああ、そうだ。…神戸に来ているんだっけ。
やっとそこまで思考が辿り着いたとたん、すう、と気持ちのいい寝息が聞こえてびくりと
震える。
「…っ」
触れてはいない、けれど、少しでも腕を動かせばぴたりと密着するほどの近さで、誰かが
寝ている。その肌の温もりが、空気を隔てていてさえ伝わるほどの距離。
…そうだ。昨夜は、同じベッドで二人眠った。
「……」
東金が予約してくれていたホテルは、ツインルームにもセミダブルベッドが二つ入ってい
る作りだった。何気なく、これなら一つのベッドで二人寝られるなあとつぶやいたら、試
してみるかと律が言って、俺が既にベッドメイクを乱した方のシーツの隙間にもぐりこん
できたのだった。
「…へっ」
俺が戸惑う間もあらばこそ、律は飄々と、
「確かに、俺と大地で寝ても大丈夫そうだな」
と宣言し、首をかしげて俺を見て、不思議そうにつけくわえた。
「寝ないのか?」
……正直、どんな我慢大会だよと思ったけれど、その瞳で誘われて俺が否やを言えた試し
はない。
「…眼鏡は外せよ、律」
とだけ言って、必死に平静を装いながら、俺は律の隣に滑り込んだ。
部屋の灯りを落とすと、カーテンの隙間からかすかに街の光がもれ入ってくる。赤や青に
色を変えるのは信号だろうか。それともネオンサインだろうか。
ちらちらと動く光を見ながら、ぽつりぽつりと、
「どうも枕がふかふかする」
だの、
「空調、強すぎないかな。弱めようか」
だの、他愛のない、…いや、あたりさわりのない会話をしている内に、傍らから返る言葉
はいつしか穏やかな寝息に変わっていた。
俺がこうして隣で寝ていても、律は平気で寝られるんだよな、ちょっとくらいどきどきし
てくれないのかな、するわけないか、等とくだらないことを考えているうちに、結局俺も
図太く眠ってしまったようだった。
俺は首をそっと横に向けた。
夜はまだ明けていないはずだが、外から漏れてくる光で律の顔ははっきりと見える。
伏せられ、どこか蒼く見えるまぶた、まつげが落とす淡い影、すっと通った細い鼻梁。息
をするたびかすかに動く薄い唇。ちらりと開いたその間に白い歯がのぞく。歯のまだ奥に
ある紅い舌を想像したとたん、ぐっと腹の底に熱がこもった。
「……」
音を立てないように気遣いながら身を起こす。
律は身じろぎもしない。
…そっと、そっと、身を傾けて、その唇に、おそるおそる触れるだけの口づけを一つ。
「…」
……と、何かが頬に触れた。
「…っ」
律のまつげが動いたのだと気付いて、俺は慌てて顔を上げる。
ゆっくりと律は目を開け、…たぶん眼鏡がなくて視界がぼんやりしているせいだろう、少
しうろうろと何か探すそぶりをして、…俺を見つけ、ふわりと笑った。
「…律」
声がかすれる。
「…起きていたのか?」
「……」
律は曖昧に、
「…いや…」
とつぶやき、
「…だが、…王子にキスされて、眠りっぱなしというわけには、いかないだろう」
のろのろとそう言って、小さなあくびを一つした。そしてようやく覚醒したらしく、まっ
すぐに俺を見て、からかうような笑顔になる。
「…夜は優等生だったのに、夜が明けると狼か」
律の声に含まれた笑いが、俺を強気にさせた。
「姫の寝顔のせいさ。…白雪姫の王子も、茨姫の王子も、姫の寝顔に欲情するんだよ、律」
どんな言い訳だと律はくつくつ喉を鳴らしたが、ふと。
「…ならば、目が覚めてしまった姫には、王子はもう欲情しないのか」
…そんな風に、誘うから。
「…そんなわけ、ないだろう」
これ以上熱のかたまりを飲み込んで押さえていることが出来なくなる。
…誘った律が悪いんだぞと、ずるく人のせいにして、俺は律をきつく抱き寄せた。

後は交わす言葉もなく、ただ、規則正しい空調のうなりを、あえかな吐息が乱すだけ。