●選択●


気配が動く。
蓬生が目をこすって気配の方へ視線を投げると、大地が身支度を整えていた。昨晩はシャ
ツもジーンズも、…時計や靴下も、邪魔なものはとにかく取り去って適当にソファの上に
投げたので、薄暗い部屋の中でいるものを探すのに少し苦労しているようだ。
「…カーテン、開けていいで」
ぽつりと言うと、大地は振り返った。
「起こした?」
「起きた」
何もかも自分のせいにしようとする大地をたしなめるように、蓬生はぼそりと言う。…そ
うか、と少し笑ってから、大地はカーテンを引いた。
既に外はかなり明るい。初夏だから、夜明けが早いのだ。ベッドサイドのアラームを見る
のが面倒で、
「今何時」
だるく問うと、大地は蓬生のシャツの下から自分の時計を引っ張り出して、
「五時前。…日の出が早くなったね」
答える。
…そして、ため息を一つ。何事か、と蓬生が眉を上げると、大地は窓の外を覗いてぼそり
とつぶやく。
「…モモ、ちゃんと朝の散歩に連れて行ってもらってるかな」
「……」
思わず蓬生もため息をついた。静かな部屋の中では思いがけず大きな音になる。窓を見つ
めていた大地が怪訝そうに振り返った。
「…どうかした?」
「…いいや。…ほんまに犬かわいいねんな、自分。もし彼女おったら絶対言われんで。私
と犬と、どっちを選ぶの、て」
大地は照れからか、一瞬顔をくしゃくしゃにしかけたが、ふと何かを思い出す表情になり、
照れ笑いに苦さが混じった。
「…土岐なら、どっちを選ぶ?」
低い声でそっと問われて、蓬生は首をひねった。
「俺、何も飼うてへんけど」
大地は小さく笑って、ベッドにぎし、と腰かけた。まだシーツにくるまる蓬生の左手を取
り、その甲をぺろりとなめる。
…それは、犬が大好きな飼い主に甘える様に似て。
「……」
大地の意図をようやく察し、蓬生は嗤う。犬(自分)と人(彼)。どちらを選ぶ?……大
地はそう言いたいのだ。
「…阿呆やなあ…」
「……」
大地は無言を返した。蓬生は片目をすがめ、大地に掴まれたままの左手で大地の手をつか
み返し、ぐいと引いた。思いがけないことだったのだろう、大地はバランスを崩して倒れ
込む。その身体を受け止め、背を抱いて、蓬生は耳元に囁いた。
「俺は、阿呆な犬、好きやで。……せやけど」
改めて大地の胸を押し返し、名残惜しそうなその顔ににっこり笑いかけて、襟元をぐいと
つかむ。
「君がもし俺より犬選んだら、殴る」
「…そんなこと、しないよ」
「いいや、わからん。…もし、ほんまにせえへん、言うんやったら、証明し」
「…証明?」
「今日一日、一言でもモモのこと口にしたら、…今晩お預けくらわしたる」
「そっ…」
大地が固まった。
「…そこで絶句しいなや。…自信ないん?」
「そ、んなことは」
ない、と断言できずに目が泳ぐ大地を、蓬生は笑った。
「自信ない、って目が言うてる。…ほんまに、阿呆ほど正直やな」
「……」
くしゃくしゃになった顔でうつむく大地に、蓬生は手を伸ばしてよしよしとその頭を撫で
た。
「大丈夫、見捨てたりせぇへん。……好きや」
かわいいな、大地。
ささやくと、大地は複雑そうな顔で笑い返した。その背を抱きしめて、蓬生はもう一度大
地をベッドへ誘う。
犬の散歩に行かないのなら、朝はまだ早すぎる。もうちょっとゆっくりしても罰は当たら
ない。
抱きしめた大地の背に軽く爪を立て、蓬生は猫のように静かに丸くなった。