●指輪・1●


「助手席のシートにこんなものがあった」
車を駐車場に止めたとき、大地が少し胡乱な目付きで運転席の蓬生の前に指でつまんだも
のを差し出してみせた。夜なので車内は暗いが、大地が少し高くかざしてみせると、外の
街灯の光できらりと光る。…差し出されたものは指輪だった。
「……?知らんで、そんなん。千秋は指輪せぇへんし、この車は家の車とちゃうから、千
秋以外で助手席に乗せるんは君くらいやし」
「……ふうん」
大地は細身のゴールドのリングを掌の上で弄んだ。男性にも女性にも使えそうなシンプル
なデザインだ。
「…だとしたら、悪意を感じるなあ。…この席に座るのが俺と東金だけで、土岐がこれを
知らないなら、この指輪をシートの隙間に押し込んだのは東金ってことになる。……何の
ために?」
「……見当もつかん」
「……そうかい?…君にしちゃ、勘の悪いことだな」
大地はむっつりと唇をねじまげている。
「自分の次に乗るのはたぶん俺だとわかっている。…ならちょっと試してみよう。気付か
なければそれでよし、…でも俺が今みたいに指輪の存在に気付いたら?…気付いて君とも
めたら?」
蓬生は不機嫌に眉をひそめた。
「…言うとくけど、千秋はそんなしょうもないことする奴とちゃうで」
「君にはね。…けど、俺にはどうだかわからないよ」
ため息混じりに苦笑をこぼすのが、千秋を責めている色ではなかった。…ので、少し話を
聞く気になる。
「……どういう意味」
「つまり、度量を試されているのかもしれないってこと。…大事な幼なじみの遊び相手と
して、相応しいかどうかってね」
「……」
「俺がこれを見つけて、君を責めたり疑ったりするようなら、東金的には俺は却下ってこ
とだ」
言って、大地はグローブボックスを開け、中に入っていた車検証の間に指輪を挟み込んだ。
「…何するん」
「置いておくよ。覚えてたら、東金に質問して返してやって。たぶん、東金も知らんふり
はしないと思うよ。これ、土岐の右手の薬指サイズだし」
…おい。
「なんでそんなんわかるん」
大地は肩をすくめる。
「いろんなものを目測できるように、子供の頃から訓練してる。何かの役に立つかと思っ
て」
「指輪のサイズも?」
「リングの号数はわからないけど、直径なら目測できる。…何ならはめてみる?」
大地はもう一度グローブボックスを開いて、車検証の間に挟んだ指輪を取り出す。促され
るまま蓬生が指輪を右手の薬指にはめると、大地の言葉通りそれは蓬生の指にぴたりとは
まった。
「…ああ、…よく似合うな。…悔しいけど、東金はいいセンスしてるよ」
言いながら、ふと大地は笑った。…あんまりいい笑いではない。
「…何や」
蓬生が警戒する声を出すと、
「いいこと思いついた」
大地は朗らかに謳う。
「…俺的に、あんまりいいことのような気がせんのやけど」
「そんなことない。いいことだよ」
「……」
いや、絶対いいことやない。賭けてもいいけどいいことやない。
明らかに機嫌が良くなった大地を見ながら、蓬生は心の中でだけぶつぶつとつぶやいた。


「よ、蓬生。……っと」
千秋は蓬生の手元を見てにやりと笑った。
「いい指輪、してるな。……二つも」
蓬生はため息をついて、薬指の指輪を左手の指で指し示した。
「…これ、千秋のん?」
「榊、気付いたのか」
「……ほんまに千秋やったんか…」
「ちょっとしたお遊びのつもりだったんだよ。まさか、どの指に合わせて見繕ったかまで
見抜かれるとは思わなかったが」
千秋さらりと言って肩をすくめ、含み笑いでこう続けた。
「…で、そっちは」
蓬生の右手にはもう一つ指輪が光っている。こちらはシルバーで、少し大ぶりだ。
「…榊くんがな。…うっかりして薬指取られたから、中指キープする、いうて。左の薬指
もあけとけ言われた。阿呆か、言うといたけど」
「ああ、心配するな。俺が左の薬指のも贈ってやる」
朗らかに言われて、蓬生は思わず額を押さえた。
「阿呆かて言うてほしいんか、千秋。たのむから、これ以上ややこしせんといて」
千秋は、はは、と笑ってくしゃくしゃと蓬生の髪をかき回した。少し困った顔で笑い返し
て、蓬生はそっと右手を握ってみた。指輪と指輪がこすれる音は、がぎ、と鈍く、あまり
いい音ではなかったが、それは自分たちの関係の不自然さにどこか似ている気がした。