●味わう●


水族館を出ると、あたりはもうすっかり夜になっていた。律は魚たちの姿に何か曲想でも
得たものか、順路の終わり頃からずっと無言の上の空で、かすかに指を動かしている。そ
んな律の姿に、話しかけて想を破るのがしのびなく、ただ黙って隣を歩く。
一つだけ、我ながらずるいと思うのは、律が動かしていない方の手を、そっと己の手の中
に握り込んでいることだ。
上の空の律が道を間違えてふらふらとどこかに行ってしまうといけないから、と、自分で
自分に言い訳したが、律の了承は得ていない。水族館の出口の暗がりでどさくさに紛れて
そっと大地が手をつないだ時、律は何も言わずに手を任せてくれたが、それは彼が上の空
だったからだということは大地も重々承知している。
二人とも無言のまま、ふと角を曲がったときだった。
思わず目を瞠るほど大きな丸い月が、道のまっすぐ向こうの低い空に、まるで芝居の書き
割りのように濃い黄色に輝いていた。
「あ」
「あ」
思わず出た声は二つ重なっていた。
はっと傍らを見ると、律も大地を見つめていて、目を合わせると穏やかに微笑んだ。
「……なんだか、目が覚めたような気分だ」
静かな声に、大地は口元を思わずほころばせる。
「何か曲想が浮かんだんだと思っていたよ」
「気付いていたのか」
律は面はゆそうにかすかうつむく。
「…俺は、何か思いつくと周りを忘れてしまっていけない」
「いいよ。律の邪魔はしたくない。…それに、役得だった」
「……?」
首をかしげる律の前で、つないでいた手をするりと離す。
「…上の空だったから。…はぐれたらいけないと思って」
付け足した言葉は、我ながらひどく言い訳じみていた。だが律は微笑んで、離された手を
もう一度結び直した。
「……律」
「…俺は、大地と手をつないでいたことに気付いていなかったから」
ひそとささやく甘い声。
「……もう少しだけ、俺の手にも、大地の手を味あわせてくれ」