●満月の魔法●


「なあ、榊くん。…今どこにおる?」
深夜、蓬生からかかってきた電話の第一声はこれだった。
「今?……自分の部屋にいるよ。どうして?」
「ほな、外見てみ。……今日は満月やで」
言われるがまま、ベランダに出た。
「……」
確かに、息を呑むほど美しい満月が、ちょうど中天にかかっていた。
「な、めっちゃきれいやろ。…月の光で魔法がかかりそうや」
「……ずいぶんロマンチックなセリフだな」
大地は笑ったが、蓬生はあくまでもその路線を貫きたいようで、こう続けた。
「もしこの月の力で魔法が使えるとしたら、俺を横浜に呼び寄せたい?それとも君が神戸
に飛んでくるか?…どっち選ぶ?」
「君との逢瀬ならどちらでも」
電話の向こうで、蓬生が呼吸だけで笑う気配がした。
「…ちなみに俺のお薦めは前者やねんけど」
「じゃあ前者で」
くすくす笑いながら、大地は蓬生のおふざけに少しだけのってやるつもりで言ってみた。
「お月様、今すぐここに土岐を連れてきてください。……こんな感じかな?」
「わかりました、あなたの願いを叶えましょう、て、月が言うてる」
「何だよそれ」
「ほんまやて。下、見てみ?」
笑い飛ばそうとした呼吸がひゅいっと喉の奥に入った。
「……!?」
思わずがばりとベランダの手すりをつかんで見下ろす。塀の向こうでちらちらと揺れる光。
…携帯の画面が光っているのだ。
「……まさか、……土岐?」
「…月に呼ばれて、ここまできてしもた」
「そんなわけっ…」
言いかけて、呑み込む。どんなわけでもいい、滅多と会えない大切な人が目の前にいる。
魔法やからと彼が消えないうちにつかまえなくては。
「一分で降りるから、消えないでそこにいてくれよ!?」
言うやいなや、大地はきびすを返して猛然と玄関を目指した。携帯をひっつかんで閉じた
瞬間、かそけく聞こえてきたうれしそうな忍び笑いが、大地の耳にちりりと残った。