●赤いカケラ●


子供の頃、千秋は、自分が好きな物は皆好きだと思いこんでいた。春のイチゴ、夏のスイ
カ、秋のブドウ、冬のミカン。
だから、大きなスイカを抱えていけば、蓬生はきっと大喜びしてくれるだろうと思ったの
に、彼はベッドの上に端然と上半身を起こした姿勢で、ゆるゆると首を横に振った。
「ごめんな、食べられへんし。…よかったら、千秋、食べて」
思わずむっとしてしまったのは顔に出たのだろう。蓬生は少しすまなそうな表情になった。
「夏は、あかんねん。…食べなあかんとは思うけど、…力が出ぇへん。……せやから、こ
れなんや」
腕から管でつながっている大きな点滴袋を指して、小さなため息をつく。…それから千秋
に向き直り、にこりと笑った。
「……せやけど、人が食べてるん、見るんは好きや。食べっぷりがいいと、自分も元気に
なる気ぃするし。やから。…もし、千秋が嫌やなかったら、ここで食べていって」
「…俺が目の前で食べたら、きっと欲しくなるぞ、蓬生」
「なったらええなあ。…そしたら、一口もらうわ」
まったくその気がなさそうな顔で、そんなことを言うので。
「……」
千秋は包丁を借りてきて、大胆にスイカを断ち、八つ割りくらいのところにがぶりとかぶ
りついた。
……何しろ、大好物だ。一口呑み込むと、もう夢中になってしまう。無心で食べる千秋を、
蓬生はにこにこと見ていたが、ふと、千秋の頬に手を伸ばしてきた。
「……何や」
「種がついとう。……あと、カケラ」
赤いスイカのカケラを、白い指先がぬぐいとる。そのまますっと口に含んで、…赤い唇が
艶に笑った。
「……ふふ。……甘い」
うっとりとつぶやくその声に、千秋は何故か、腹をぐっと掴まれたような、そんな気がし
た。痛みともくすぐったさとも違う、もっと熱い感情。幼い千秋にはそれが何かはわから
なかったけれど、奇妙に後ろめたく。
「……」
ごまかすためにスイカにむしゃぶりつくと、昼の蝉が笑うようにうるさく鳴いているのが
妙に耳について離れなかった。