●アラベスク● 夕方、下校しようとした律が、いつもの正門ではなくグラウンドを横切って裏門の方へ向 かおうとするので、大地は、おっと、とたたらを踏みそうになった。 「どうしたんだい、律。…まっすぐ寮に帰るんじゃないのか?」 「…。…ああ、すまない。ちょっと楽器店に寄っていこうかと」 「何?…松脂でもきらした?」 「いや、そうではなく、楽譜を探しに。…ドビュッシーのアラベスク。…学校の図書館で は貸し出し中で、手に入らなかった」 「ピアノ譜か。確かにオケ部の本棚にはなさそうだけど、…何故?」 「夏休みの課題で、一曲何か編曲しなければならないんだ」 「じゃあ、アラベスクをヴァイオリンに?」 まあ、そうなんだが。律はそう言って、少し首をかしげた。 「それだけではあまり芸がないし、ピアノ用の曲をヴァイオリン一挺で弾くと、少し表現 しきれない部分も出てくるから、ヴァイオリンとヴィオラの二重奏にしようと思って」 どきりとした。…が、敢えて平静を装い、大地は律に微笑みかける。 「ヴァイオリンとヴィオラ?」 「そう。…どうかしたか?」 だが、おたついていることは隠せなかったようだ。律は少し不思議そうに首をかしげた。 「あ、いや、…ヴァイオリン二挺か、ヴァイオリンとチェロの方が、二重奏としてはメジ ャーじゃないかと」 「別に。俺は俺の弾きたいものを弾きたいように編曲するだけだから」 律はさらりとしたもので、そのくせぽつりとこんなことを言う。 「もちろん、完成したら、試奏に付き合ってくれるだろう?」 大地はもう、どきどきするやら焦るやらで。 「……ああ」 ごまかすために、少し無愛想につぶやいてそっぽを向くと、東の空に満月がちょうど顔を 覗かせて、二人を笑っているようだった。