●散歩●


モモの夕方の散歩で遊歩道を歩いていると、後ろから声をかけられた。
「榊くんやんか」
「…へ」
振り返ると、練習帰りか、ヴァイオリンケースを下げた土岐が立っていた。大地を見て、
…それから大地の足元に目を向け、常にない、穏やかな顔で笑う。
「もしかしたらこの子が、例の飼い犬なん?」
「そうだよ」
「…噂はいっぱい聞いとったけど、会うんは初めてやなあ。……こんにちは」
最後の挨拶はモモに向けてだ。モモも、自分が見られているとわかるからだろうか、わん!
と吠えてしっぽを振った。
「人なつっこい、愛想のいい子ぉやな。…飼い主に似んと」
「一言余計だよ」
「はは」
土岐は気楽な調子で笑った。…肩の力が抜けている。大地といて、こんなにリラックスし
ている土岐も珍しい。おまけにこんな提案までしてきた。
「君がいややなかったら、このまま少し歩こか。…この子も先に進みたそうな顔、してや
るし」
「…。…ああ、そうだね」
肩を並べて歩き出す。モモは意気揚々と先を行く。…周囲からは、友達同士に見えるんだ
ろうな、と、…大地は少し、面はゆく。
「朝夕、散歩するん?」
一方で土岐は一体どんな心境なのだろうか。さりげない会話を大地に投げて。
「まあね。…晩は少し遅くなることもあるけど。…土岐は、今日はどこへ?…東金の練習
のつきあいかい?」
「いや。小日向ちゃんと、ちょっと密会しとって」
言って、土岐はすぐに吹き出す。
「そんな目ぇとがらせんでも。…頼まれて、練習につきおうただけや。何も悪いことして
へんよ」
「……まあ、…そうだろうと信じてはいるけど」
「けど、が余計やで」
先ほどのお返しのように言い返されて、大地は苦笑する。その笑い声にかぶせるように、
土岐は言った。
「何やったら、君の相手もしたげよか?」
「……」
大地の足が止まった。土岐も足を止め、モモが、リードが伸びる限り先を行って、つんの
めるように止まり、わん!と不服の声を上げる。
「……言うとくけど、つきあうんはヴィオラの練習やで?」
「わかってるよ。……だけど、……本気?」
「まあ、……君さえ、よかったら」
夏の夕方の、涼しくて、それでいて昼の暑さを残したような、とろんと重い風が吹く。
わん!ともう一声せかされて、二人はゆっくり歩き出した。……一言が残した波紋を、そ
れぞれの胸に広げながら。