●氷塊●


昼の間に身体にこもった熱が、夜になっても去らない。蓬生は菩提樹寮で与えられた部屋
のベッドに横たわり、ぐったりと目を閉じていた。
この古びた寮に、クーラーなどという上等なものはない。内装を全て入れ替えさせた東金
も、クーラーはさすがに電気工事などの関係上勝手につけるわけにはいかなかった。なの
で、窓を開け、扉も開けて、風の道を作ることで何とか部屋を冷ましている。……もっと
も、じっとりねっとり重い熱風しか入ってこなくて、冷却という意味ではたいした効果は
なさそうだ。
「……蓬生」
唐突に部屋に入ってきた千秋が、ぐったりしている蓬生を見て目をすがめた。
「…大丈夫か」
寄り添うようにベッドに腰をかけ、指先で蓬生のこめかみにかかる髪をはらう。
「大丈夫…とはよう言わんし、……ごめん、…相手する元気、ないわ。……悪いけど」
蓬生が言い終えるよりも先に、ひやりとしたものが額に触れた。
「…差し入れだ」
笑って、千秋は、いったん蓬生の額に当てたアイスノンを持ってきたタオルでくるんだ。
「ユキから。…これを首の後ろに当てておけば少し楽になるはずだと言っていた。……あ
と、麦茶は如月律から。…サイドテーブルに置いておく」
「……」
蓬生は喉で少し笑った。
「……千秋は?」
「あ?」
「千秋の差し入れは、ないん」
蓬生の問いに、千秋は一瞬、おや、という顔をした。が、すぐに目を細めて、
「俺のは、これ」
いくつかの氷塊が入ったコップを掲げてみせる。
「直接的でいいだろ?」
「…どないするん、それ。…かじれって?」
「……」
千秋は吐息をこぼすように笑った。
「……っ」
その笑みに、土岐の中にうわっと警戒心がわく。

−…こういう笑い方をするときの千秋は、やばい。……めちゃくちゃ、やばい。

「……」
が、蓬生が逃げを打つ前に、千秋の手は蓬生の肩を押さえていた。身体全体でのしかかっ
て自由を奪い、唇に氷をひとかけくわえて、…そのまま鎖骨に口づける。
「……!」
ひやりと冷たい氷の感触と、なめらかに熱い唇の感触が、同時に蓬生を愛撫した。
「…千秋!」
叱られて、千秋は身を起こし、氷をがりりとかみ砕き、ごくんと飲み下して、…嗤う。
「…他に、冷やしてほしいところは?」
「頭わいてんか、阿呆!相手する元気ないて言うたやろ!」
「……つまらん」
まだ抵抗するかと思ったが、蓬生の怒気を見て案外にあっさりと千秋は退いた。
「…おもしろい遊びだと思ったのに。…まあ、しかたない。…また元気になったら相手し
てくれ」
「夏中元気ないし、秋になったらそんな寒い遊びの相手したないわ」
「……………つまらん」
「もうええからあっち行き。……元気ない言うてんのにいらん遊びしかけてきたこと、反
省するまで入ってこんといて」
千秋は肩をすくめ、氷のグラスを麦茶のポットの横に置いた。グラスは元々麦茶用のもの
だったらしい。…ふと悪戯心が沸いたと、…そういうことだろうか。……いや。
「…今度は、ちゃんとした差し入れを持ってきてやる」
背中を向け、少し意地っ張りな子供のような声で、千秋はぼそりと言って、そのまま部屋
を出て行った。
「……しゃあないなあ」
千秋の差し入れは、と聞かれて、何も持ってきていなかったことを、ああいう遊びでごま
かそうとしたのだろう。それを蓬生から本気で叱られた。
……珍しくしょげていた千秋の声音に、蓬生は眼鏡の奥で瞳をそっとすがめ、…やんわり
と笑う。
「…差し入れなんかのうても、…普通にそばにいてくれるだけでええのに、…いらんこと
するからや」
千秋が何か差し入れを持って戻ってきたら、そう教えてやろう。
そうひとりごちて、蓬生は目を閉じた。タオルでくるまれたアイスノンを首筋に当てると
きにふと、鎖骨の真ん中に触れてみる。惑乱するようなあの感触は、もう残ってはいなく
て、…少しだけ、惜しいような気もした。