●星の涙● ちん、と音がして開いたエレベーターに乗り込もうとしたら、泣きじゃくる女性の先客が いた。 大地と蓬生も驚いたが、彼女はもっと驚いたようだ。こんな夜遅くに下りのエレベーター に乗ってくる人間はいないと思っていたのかもしれない。 とっさに降りる彼女のために道を開け、二人はなんとなく気まずい気持ちでエレベーター に乗り込んだ。扉が閉まり、ゆっくりとエレベーターは降下を開始する。 「…あそこで降りるつもりじゃなかったんだろうに」 大地が思わずつぶやくと、 「せやけどあんなに泣いてる顔、同性ならまだしも見ず知らずの異性に見られとうないや ろ。…まして、こんな時間やし」 「オオカミを警戒されたかな」 大地はそっと苦笑して、そこで話を打ち切るつもりだったが、蓬生は少し間をおいてから ぽつりと言った。 「せやけどちょっと、うらやましいかな」 「…何が?」 大地の驚く声が聞こえているのかいないのか、一人言のように蓬生はつぶやく。 「あんな風にぼろぼろに泣きたいと思ても、今の俺には出来へんからなあ…」 伏せた眼差しは大地を忘れて思考にふけっているようだった。声をかけたものかどうか迷 いながら、大地が、 「……何故、泣きたかったんだ、…って、聞いてもいいのかな」 問うと、蓬生ははっとした顔になった。一瞬苦い感情が顔をよぎったが、すぐに皮肉でき れいな作り笑顔を浮かべる。 「さあ、何でやったかな。…忘れてしもた」 そのとき、まるでタイミングをあつらえたかのようにエレベーターがロビーに着いた。 「辛気くさい話してんと、早よ行こ」 二人は、まだ開いているバーがあるからと、飲みに出直すところだったのだ。さっさとエ レベーターを降り、ホテルのエントランスを出て行く背中を追いながら、大地は静かに眉 をひそめた。 いつもならどんな風にでも大地を言いくるめてしまう蓬生が、うかうかと本心をのぞかせ た。あまつさえ、ひどく幼稚なごまかししかできなかった。 −…君がそうして気をゆるめ、しくじったのは、今日の聞き手が俺だったからか。…それ とも、その日君を泣かせたのが俺だったから? 確信はない。だが何故か後者のような気がした。…そしてそう考えることの図々しさに苦 笑し、考え込んで足が止まっていた大地は、大股に蓬生の後を追いかける。 エントランスを出たところで、蓬生は背中を向けて大地を待っていた。やっと追いついて きたことに気付いてか、 「こんなビルの隙間に、星が出とう」 な、とかすかな笑顔で振り返ってそっと空を指す。…話題を変え、先刻のことをなかった ことにしたいのは明らかで。しくじりを意識させないよう、大地はそうだねと話にのった。 「かろうじて見える程度だけど。…シリウスかな」 「かもしれんね。…他の星も見えたら、確信できるんやけど」 空を見上げる蓬生の頬の線を街灯の光が白く輝かせている。…まるで、涙の跡のようだと、 ふと大地は思った。