●兄弟げんか●


夕方、菩提樹寮の裏手の路地を歩いていると、かすかに言い争うような声が聞こえてきた。
聞き覚えのある声と気付いて思わず大地が耳をそばだてると、どうやら律と響也のようだ。
ぐるりと回って門から入り、ラウンジに足を踏み入れると、実家からとおぼしき段ボール
箱を間に挟んで二人が何かもめていた。
「…何してるんだい?」
二人とも大地に気付いていなかったようだ。声をかけるとそろってはっと肩をふるわせた。
「…大地」
「あんた、何でいるんだよ」
「いや、単なる通りすがりなんだけど、外にまで言い争う声が聞こえてたから、つい」
「……」
「……」
何とも気まずい顔で二人は顔を見合わせ、目が合ったとたんに響也がぷいっと顔を背ける。
「何かもめてた?」
「別に」
「ああ」
正反対の答えがハモって、大地は思わず吹き出した。
「兄貴!」
かみついたのは響也。
「もめていたじゃないか」
平然と答えるのは律だ。それから律は大地に向き直った。
「実家からの荷物に湯たんぽが一つだけ入っていたんだ。俺は響也用に送られてきたもの
だと思うんだが、響也が自分のものじゃないと言い張るから」
「湯たんぽなんか使わねえって!」
響也は耳まで真っ赤になってまた大声を出す。
「だが昔から、俺よりお前の方が寒さに弱かっただろう。冬になると必ず風邪をひいて、
熱を出して」
「それは湯たんぽと関係ないだろ!」
「身体を温めれば風邪予防になるだろう」
大地は、こらえきれなくなった笑いでくすくすくすくす震えながら、間断なく言い合い続
ける二人の間にようやく割って入った。
「じゃあ、こうしよう。…律には俺が湯たんぽをプレゼントするから、その湯たんぽは響
也が使うといい」
「……は?」
大地の提案に、まず響也がぽかんとした。律も首をかしげる。
「…何だよ、それ」
「一個しかないからもめるんだろう?二個あれば、一人に一つずつで円満解決じゃないか。
それとも、俺がプレゼントした湯たんぽ、響也が使ってくれるのかい?」
「………」
響也はなんとも厭そうな顔になり、
「……いらね」
首を何度も横に振って、ぼそりと言った。そして結局、むすっとした顔で湯たんぽを拾い
上げ、ラウンジを出て行ってしまう。
「…おやおや」
「…すまない、大地。騒がせてしまった」
「いや、いいよ。…ことは収まったようだし、じゃあこれから湯たんぽ買いに行こうか?」
律はくるんと目を丸くした。
「……あれは、場を収める方便じゃなかったのか?」
「まさか。本気だよ。寮は寒いし、大学部の寮だって似たような建物だ。これからまだ四
年寮に住むなら、あってもいいんじゃないか?……毎日一緒にいて愛し合えれば、そんな
もの不要だろうけどね」
さらっと付け加えた大地の言葉の意味を、一瞬律は理解できていないようだったが、やが
てじわりと耳まで赤くなった。
「…大地…!」
「冗談だよ」
「たちの悪い冗談だ」
「ごめんごめん。…じゃ、残りの荷物を部屋に入れたら出かけよう」
あえてしつこく謝らずにぽんと肩を叩くと、まだ顔を真っ赤にしたまま律はのろのろと動
き出した。髪からのぞくまだ赤い耳の先を見て、大地の頬はほろりゆるんだ。