●別の空を見ている●


何気なく見上げた歩道橋の上、所在なげに佇むのは見慣れた顔で、大地は思わず眉を上げ
た。
「…あんなところで何をしているんだ」
見れば、携帯をいじっているようで。メールか電話でもしているのかもしれないが、それ
でもやっぱり気になって、藪蛇承知で階段を上がる。
大地が階段を上りきっても、彼はまだぼんやり携帯をいじっていた。
「…土岐」
声をかけるのと、大地のジーンズのポケットで携帯が鳴るのはほぼ同時だった。…次の瞬
間、はっと土岐が振り返るのと、おや、と大地が携帯を押さえるのも同時で。
「…榊くんやん」
どこかぽかんとした声で土岐はつぶやく。
「…何や。…ここで出会えるんやったら、メールせんでもよかったな」
大地は押さえたままだった携帯をふっと見た。
「今来たメール、…土岐か?」
「たぶん」
「どうして?」
「…どうして、て」
く、と土岐は喉を鳴らして笑う。
「暇やから、榊くん呼び出して、いじって遊んだろ、思て」
いつもの憎まれ口。皮肉を宿して笑う瞳。挑発的なそぶりの底にある甘えに気付いたのは
いつだったか。
大地はそっとため息をついた。
「…何」
即座に土岐が見とがめる。
「そこで『遊んだろ』じゃなくて、『会いたかった』って言えばもっとかわいいのに」
「…」
土岐は大地のその言葉に眉間を押さえた。
「…想像してみ。気持ち悪いやろ。…君に、『会いたかったー』とか言う俺」
「…そうでもないけど」
「…」
「…」
見つめ合って、どちらからともなくぷいと顔をそらす。
「…悪いけど、俺は気持ち悪い」
「そうか」
…まあ、土岐にしてみればそうかもしれない。
「これやから、榊くんとは気ぃ合わんわーって思うわ」
「それは俺も常々思って、……あ」
言い返しかけて、大地がふと声を上げる。
「…何」
「鐘の音。…あの教会、結構離れてるのにここまで音が届くのか。…へえ」
大地は耳の後ろに手を当ててみた。風の音と鳥の声、視覚障害者用信号がかなでるとおり
ゃんせ。…遠くを走る電車の音、港を出て行く船の汽笛まで。
「歩道橋の上って、車の騒音くらいしか聞こえないだろうと思ってたけど、意外といろん
な、…結構遠くの音も拾えるものだな。おもしろいね」
「………そういうとこは、気ぃ合うんやけどなあ……」
ぼそり土岐がつぶやいた声は、折しも下を通り過ぎていったダンプカーの騒音に紛れてし
まって、大地には届かなかった。
「土岐、今何か言ったかい?」
「いいや。…なーんにも」
手すりに腕をかけ、胸でもたれて、土岐はあらぬ方を見ている。隣で大地は逆に背中を歩
道橋の手すりに預けて、ため息をついて空を見上げた。
素直じゃなくても、気が合わなくても、自分は土岐と共にいる時間を楽しいと思い始めて
いる。…彼に、惹かれ始めている。
大地が土岐の甘えに気付くように、土岐の方でも大地の心の揺らぎに気付いているかもし
れない。けれどもお互い、相手の何に気付いても、自分からは口にしないだろう。
揺れる思いをごくりと飲み下し、並んで別々の空を見る。夏の終わりの昼下がり。