●それきりの関係●


朝の個人練習につきあってくれるという約束だったが、決めた時間に土岐は現れなかった。
しかたなく大地が一人で練習を始めていると、しばらくして携帯が震えた。メールだ。
ソロコンを控えた東金の練習につきあっていたら時間が長引いた、約束を破ることになっ
て悪いがそちらには行けないという趣旨。…まあそうだろうなと思いつつ、東金の名前に
心が揺らいだ。

−…あ。……やばい。

案の定、携帯を閉じてから弾き始めた次の曲は動揺があからさまで、聴けたものではなか
った。吐息を吐いて、気分を変えなければどうにもならないと、のろのろと学校を出てコ
ンビニへ向かう。
朝の通勤通学のラッシュを終え、昼食の買い出しにはまだ少し早い時間帯のコンビニは、
いい具合に空いていた。缶コーヒーを物色していると、ふと後ろから背を叩かれる。
振り返るとそこに土岐がいた。
「…何だ。こんなところにいたのか」
思わずつぶやいてしまう。土岐は大地の言葉に首をすくめた。
「ずっとおったみたいな言い方せんといてくれる。…約束すっぽかしたお詫びに、何か買
おかな、思て、今入ってきたとこや。…君こそ、ずっとここにおったん?」
「まさか。…俺も今来たところだよ」
「ちょうどええわ。…缶コーヒー買うん?……おごるし」
「すっぽかしたのを缶コーヒー一本ですませようって?…せこいな」
「せこいんはどっちや。高いもんおごらせる気満々やんか」
「当然の権利だろ」
「当然とちゃうわ」
何の気なく言い返された言葉がふと、大地の心に響いた。

−…当然じゃない、か。…確かにそうかもな。

土岐がここにいることも、こうして他愛なく言葉を交わすことも。あと何日か、コンクー
ルが終わってしまえば、それは当然ではなくなるのだ。ほんの一瞬、同じ時間ですれ違っ
ただけ。人生の糸と糸とが交差しただけ。……離れてしまえば、もうそれきり。

−それきりの関係に、何を期待していたんだろう、俺は。

「…榊くん?」
訝しげに声をかけられてはっとする。…ごまかすために、目の前の冷蔵ケースに手を伸ば
した。
「…決めた」
適当にコーヒーを選んで、ぽい、と土岐に渡す。
「レジよろしく。おごってくれるんだろう?……何、びっくりした顔してるんだ」
土岐はコーヒーを受け取りながら、目を丸くしていた。
「…いや、…もう一つ二つ、小言が来るかと思とったら、案外あっさり引き下がったから。
…拍子抜けした」
「当然じゃないんだろう?…おごるのやめた、って言われる前に、ほどほどでひいておか
ないとね」
「……冗談抜きで、せこいなあ…」
呆れかえる土岐に、にやりと笑い返す。彼にも自分にも、本気などかけらもないのだと、
言い聞かせる言葉をそっと、唇の端で飲み込んだ。