●白い袖口●


窓の外からは、まだ白い光が差し込んでくる。もう夕方と呼んでいい時間なのに、さすが
に初夏のこの時期は日が長く、光が夕映えに赤くなる気配はない。
大地はぼんやりと階段の手すりにもたれ、父親にリビングへと引っ張って行かれた律を待
ちながら、物思いに耽っていた。
脳裏に浮かぶのは、きっちりと袖口のボタンを留めた律の長袖のシャツだ。もう衣替えは
すんでいるのだが、律はがんとして半袖を着なかった。…それは、彼が今だテーピングを
手放せず、かつ、その事実を部員達に知られたくないからで。
……大地だけが、律の腕の爆弾を知っている。
「…!」
そのとき、リビングに続くドアがかちゃりと開いて、律が出てきた。室内にいる大地の父
にぺこりと頭を下げてからくるりと体を返し、大地を見つけて穏やかに笑う。
「……大地」
「…律。…親父、何だって?」
「状態は安定しているようだ、と。…今日診察できたから、明日の予約には来なくていい、
また二週間後の月曜日に予約を入れておくから、と言われた。……ここのところ患者さん
が混んでいるから、予約を減らしておきたかったんだそうだ」
言って、律はくすりと笑った。
「……目尻」
「…は?」
「下がった。…ほっとしたんだろう?」
「…まあね」
大地は肩をすくめる。
「親父、律を見るなりリビングに引っ張っていくから、まさか手の状態が悪化してるのか
って、すごく不安だったよ。…予約を減らしたいだけって、何だよその理由」
「さすがの先生も、玄関に俺がぼうっと立っているのを見ただけじゃあ、手の状態までは
わからないだろう」
「そりゃあそうなんだけど」
「…大丈夫だ」
律がつぶやいた言葉は、大地をなだめるような響きがあった。
「…律」
「…大丈夫。…無理はしないし、ちゃんと忘れず診察も受ける。……もう、大地に、俺本
人よりも痛そうな顔はさせたくない」
「……律」
「……大地の部屋に行こう。…関芸大付属の演奏を手に入れたんだろう?…聞かせてくれ」
「……。……ああ」
階段を先に立って昇る大地の後ろから、律が、ふと、という様子でまた口を開いた。
「…そういえば先生に診察の後で、テーピングはどうすると聞かれたから、大地にやり直
してもらうと言っておいた」
律は左手を挙げる。長袖の、その白い袖口。
「包帯とテープはある。…あとで、頼む」
その眼差しに、律のかすかな甘えを見るのは、大地の都合のいい思いこみだろうか。…ぐ
らり、揺れそうな心を、作り笑いの下に押し込めた。