●梅香● 髪を撫でられた気がして目を開けた。 室内に人の気配がないので夢か錯覚かと思ったが、それにしてはあまりに感覚が生々しい。 …それに何かが、眠りにつく前とは変わっている気がした。 一体何が、と思ってから、はたと気付く。 ……花の香りがする。 覚えのある香りだが、その花は数日前にしおれてしまって、忍人の主治医を務める遠夜の 手によって取り除かれたはずだった。 …だが今、確かに、またその花の香りが馥郁と室内に漂っている。 「……」 忍人は重くてだるい身体をなだめつつ、寝台の上で寝返りを打った。…そして、傍らの小 卓に、芳香を放つ花の一枝を見つけて、切なく眉を寄せた。 りんと美しい白い梅。 その贈り主が誰なのか、見た瞬間に忍人は理解した。夢の中で、愛しげに自分の髪を撫で ていった人物が誰なのかも。 ……再び閉じた忍人のまぶたの裏で、幻のようにマントが翻る。情熱をあらわすかのよう に鮮やかな紅い髪。ひやりと冷たい手袋に包まれた指先。 浮かぶ姿の鮮明さに、忍人は戸惑った。その姿が今ここにないことに、失望している自分 自身にも。 静かな闇に沈む夜の室内に、梅の香りだけが芳しく満ち、忍人の寂しさをそっと和らげる ようだった。