●ありがた迷惑●


階段を下りていくと、ラウンジから土岐に声をかけられた。
「何や、今から帰るん?…深夜になったし、寮に泊まっていくもんやと思てたのに。……
あ、如月くんにふられたとか?」
「何だそれ」
大地は渋面を作った。
「くたくたになって一歩も動けないとか、誰かが酔いつぶれて手当てしてやらないとまず
いとか、何かしら事情がないかぎり基本的に寮には泊まらないよ、俺は。…家が近いから
ね。使っていない部屋を泊まれるように準備するより、歩いて帰って家のベッドに転がり
込む方が楽なんだ」
「せやけどそんなん、空き部屋に泊まらんでも、如月くんの部屋に泊めてもらったらええ
やん」
「…」
大地は一瞬目を泳がせた。
「寮のあのコンパクトなベッドで、大の男が二人も寝られるわけないだろ」
蓬生はチェシャ猫のような笑みを浮かべて立ち上がり、階段のステップ一つ分空けた距離
まで大地に近づいて、そのネクタイをくいとつかんだ。
「…嘘つき」
「…は?」
「そら確かに、君は寝られんやろ。…せやけどそれは、狭いからとちがう。…やろ?」
艶然と笑みを含み、蓬生はもう一歩大地に身を寄せ、右手で大地の左頬に触れながら、右
頬に唇を近づけて、耳の中に吹き込むように囁いた。
「…如月くんと肌が触れあうような近さでは、どきどきしてしもて寝付けん。…そういう
ことやろ?」
そのとき、上からがたんという音がした。はっと見上げると、律が身を翻して二階の踊り
場から自室に向かって駆け戻っていくのが見えた。ばたんと音を立てて扉が閉まってから
気付く。今の土岐の耳打ちは、角度によっては頬に口づけているようにも見えるのではな
いか、と。
「…土岐…っ!」
大地が突き飛ばすような勢いで土岐から身を離して睨み付ける。
「律が来てること気付いてて、わざと…!?」
「俺に文句言うより、如月くんに言い訳してくる方が先ちゃうん」
さっきまでの色っぽい雰囲気はどこへやら、にやにやと、ネズミをいたぶる猫の顔で土岐
は律の去った方を指さした。
「ほら、早よ行き。…で、仲直りして、ついでに部屋に泊めてもらいいや。…親切やろ?
君が夜道帰らんでもすむようにしたったで」
「そういうのは大きなお世話とかありがた迷惑って言うんだよ!」
大地の叫びは階段を駆け上がりながらだったので、後半は土岐の頭上から聞こえてきた。
「…大きなお世話、か」
にやにや笑って元の椅子に戻りながら、土岐は首をすくめる。
「いじめ、言わんところがまだまだやなあというか、結局人がええなあというか。…そん
なんやから、俺に遊ばれんねんで、榊くん」