●一人暮らし●


高校に入学するときは一人暮らしなんて思いもよらなかった律が大学に入って一年後に寮
を出たとき、一番驚いたのは律にこっそりそれを決意させた当の大地だった。
「一人暮らしって、自炊も必要なんだよ、律。…大丈夫かい?」
散々案じて止めもして、…しかしどうしても律が決心を曲げないと知って、深々と嘆息し
た大地は、一旦腹をくくると実に手際よく、律の一人暮らし開始のためのサポートをして
くれた。部屋選び、寮を出るにあたって追加で必要なものの買い出しの助言。授業とバイ
トで忙しいはずだからと律が遠慮しようとしても聞かなかった。律が一人でそれをこなす
と考えただけで、心配で何も手につかなくなるよと笑って。
何くれとなく世話を焼いてくれる大地は、けれどやっぱり律の意図には気付いていないよ
うだった。
だから、引っ越し荷物を新しい部屋に運び込んだその日、それじゃあと部屋を辞そうとす
る大地に、律は一晩泊まっていくようにと請うた。
遅くなった時間やちょうど都合良く降り出した雨を言い訳にすると、大地は、大人数の暮
らしから一人になって、急に人恋しくなったんだろうと笑ったが、…律の真意は違った。
何故一人暮らしを始めたか。…その本当の意味を伝えたかったのだ。
畳の上で、布団を並べて眠っても、引っ越しで疲れた身体には睡魔の誘惑の方が強かった。
泥のように眠りに落ち、はっと気付いたときにはもう、やわらかく空が明けはじめている。
早朝の閉め切った部屋、少しよどんだ空気の中で、大地はまだぐっすり眠り込んでいる。
律はその整った鼻梁に、そっと口づけてみた。
静かな呼吸が風の音のように律の耳を優しく揺らして、…大地の熱が暖かく誘う。
たまらずもう一度、今度は唇に口づけると、ふいに大地の瞳がぱちりと開き、ついで驚き
に見開かれた。
声にならない声が、「…律…!?」と自分を呼んでいる。
律は笑い出したいような気持ちで一旦唇を離し、大地の胸に自分の額を預けた。
「……早く、こうしたかった」
「……律」
「大地。…教えてくれ。…俺が一人暮らしを始めると言ったとき、その原因は自分かもし
れないと、ちらりとでも疑ってくれたか?」
「……っ」
大地は息を呑んだ。それが答えだった。
「…律。…まさか」
まさかと言われて、律は笑い出さずにはいられなかった。
「お前の中で、俺はどれだけ聖人君子なんだ」
「……」
「…一緒にいたい。少しでも、自由に大地と二人きりになれる居場所がほしい。…俺がそ
う願っては、おかしいか」
「……律」
不意に体勢を入れ替えられ、きつく抱きしめられて、律は幸福に酔った。
……本当の、本当に、今の今まで疑いもしなかったのかと、……せつなくて、おかしくて。
「…好きだ。…大地」
今更の告白は、貪るような大地の口づけの中に呑み込まれた。