●山影●


何かが歩道橋の上に落ちてかつんと音を立てた。前を歩く蓬生が気付いていないようなの
で、大地が拾う。
それは、車の鍵だった。キーレスエントリー用のリモコンと、キーホルダーがついている。
金色のイニシャルは、T。
「…土岐。落とし物?」
「え?」
振り返った蓬生は、大地が指でぶらぶらと振っているものを見て、あ、あかん、とつぶや
いた。
「大事なもん落としたのに全然気付かんかった」
やはり蓬生のものか、と思いながら、大地はかすかな違和感に首をかしげた。
「…何や?」
「いや。…土岐が車の鍵にキーホルダーをつけるタイプとは、意外だった」
つきあっていて、彼が基本的に洗練されたシンプルさを好むたちだと、大地は何となく気
付いていた。見失ってしまうかもしれない小さな鍵や薄い鍵には必要に応じてキーホルダ
ーを取り付けることもあるだろうが、キーレスエントリーのリモコンがついているような
車の鍵なら、何もつけなくても見失わないだろうに、なぜわざわざ余計にも思える飾りを
つけているのか。
大地があえて細かく指摘せずにいることに、蓬生も何となく気付いたようだ。肩をすくめ
て小さく笑う。
「車、俺一人の持ち物とちゃうもん。千秋と共同所有や。…ま、登録上は俺のんや、いう
ことになってるけどな」
…話が見えた。
「このキーホルダー、つけたんは千秋やねん。千秋は兄弟おるから、何でも自分のもんは
ちゃんと主張するんが癖になっとうみたいで、…子供の時は幼稚園のものにまですぐ自分
の名前書いて、よう先生に怒られとったわ。…千秋くん、これはみんなで使うものよ、い
うて」
大地は笑った。
…らしいというか、今ひとつぴんとこないというか。…それは大地が一人っ子で、物の所
有に関しては比較的おっとり育っているからかもしれない。
「これも、本当は千秋のCにしたかったんとちゃうかな。…けど、二人のもんやから、い
う気があって、俺と共通のTのイニシャルにしたんやと思う。…あれで案外、気ぃ遣いや
から」
「…案外、とまでは思わないよ」
蓬生の言葉に苦笑で応じながら、大地は、ちりりと胸を灼かれるような感触に耐えていた。
東金のことを語る蓬生の瞳は、慈しみに満ちている。思慕と信頼、あたたかな思いが、彼
の表情をやわらかくする。
それを、自分への感情と比較するのはむなしいことだとわかっているし、東金と蓬生の結
びつきの強さ深さを思い知らされるのは今に始まったことではない。……けれど、嫉妬す
る醜さを笑顔の下に隠して蓬生と相対するのは、やはりそれなりに技術と努力が必要で。
「……」
かすか、うつむいた大地に、蓬生はいぶかしく声をかけた。
「…大地?」
まっすぐに声が届く。

−……俺のこの醜い妬心に気付かない君を、喜んでいいのか、悲しむべきなのか。……俺
にはよくわからない。

「…何だい」
たぶん、いつもの鷹揚な笑顔が作れたと思う。蓬生はほっとした様子で表情をやわらかく
した。
「こんなとこで立ち止まってんと、早よ何か食べにいこ」
「確かに。…歩道橋の上は吹きっさらしで寒いね。…夕方になってまた急に冷え込んでき
たみたいだな」
「春やいうてもまだまだやなあ」
のんびりとした会話の途中、ふと西の空を見ると、夕焼けの光が西の空を赤く染めていた。
その赤さが炎に、黒々とした山影が己の焦げた妬心に思えて、大地は薄く苦く嗤った。