●紫煙●


「ごめん。一本だけ」
と言って、蓬生がライターを取りだしたので、大地は眉をひそめた。
急に公園に誘われて、こんな深夜に何の寄り道かと思ったら、煙草が吸いたかったのか。
「…煙草?」
「そない、目ぇも声もとがらせんでもいいやん。…こないだ、土産にもろたんや。一本だ
け吸うたら、後捨てるし」
「もらわなきゃいいのに」
「そうもいかん。…いろいろ恩のある人やし。どんな味やったか、感想くらい言わんと」
「……」
黙り込む大地の前で、蓬生はゆっくりと煙を吐き出した。煙草特有の匂いに、何か甘いフ
レーバーがまじる。
「……?…何か…」
「…ココアフレーバーが入ってるんやて」
けげんそうな大地の表情を楽しむように、蓬生はゆらゆらと笑う。紫煙がその表情を少し
だけ隠す。
「味は、…まあ普通の煙草かな。外国煙草にはもっとまずいのもあるけど、そこまでやな
い。…けど、匂いだけココア」
「味の感想が言えるくらい吸ったんだから、もういいだろう」
「もうやめとけって?」
喉で笑うと、蓬生は吸いかけの煙草を指で挟んで、大地の口元でひるがえしてみせた。
「…ほな、残りあげるわ。…好きに処分して」
「……蓬生」
大地ははかるように蓬生を見る。
「…好きにして、て、言うてる」
その指は、誘うように吸い口を大地の口元に向けている。
「……」
ため息をついて、大地は差し出された煙草をくわえた。どうせ既に煙は共有しているのだ。
嫌煙権など今更だ。
大きく一つ吸い込んで、顔をしかめる。
「…匂いが甘い」
「榊くん、チョコ嫌いやもんなあ」
「知ってて、吸わせたんだろ」
「……ん?」
「恩のある人の土産だなんて、うそだろう?…これを見つけて、俺の反応で遊びたかった
んじゃないのか」
「……」
蓬生はまじまじと大地を見て、目をやわらかく三日月の形にした。イエスともノーとも言
わないが、その微笑みが答えだった。
大地はすぱりともう一度煙草を吸って煙を吐き、蓬生の胸ポケットから携帯灰皿を取りだ
して乱暴にもみ消した。そして、その灰皿を受け取ろうと伸びてきた蓬生の腕をつかみ、
引き寄せて、口づける。
「…何や、急に」
驚きもせず、笑いながら、唇を触れさせたまま蓬生が問う。
「口直しだよ」
「俺かて、同じ煙草とココア味やで」
「…いいんだ」
それきり、後は言葉を許さない。口づけの激しさでまじりあった唾液を蓬生がごくりと嚥
下する音だけが公園に響いて。
かすかに残っていた紫煙が、ゆらりと夜空に立ち上り、消えた。