●ちぎれた花●


床の上に、どこからか引きちぎられ、飛んできたような桜の花が一輪落ちていた。
ふと気になって、那岐はゆっくりと身をかがめ、拾い上げてみる。
その桜は、那岐が知る異世界の桜よりも色が濃く、ぽってりとしていた。が、那岐が気に
なったのは花の形や色ではなく、その花が、まだ散るような開き具合ではなさそうに見え
たことだった。手に載せてみるとやはり、つぼみがかすか開いたばかりというような咲き
具合で、本当ならこんなところに落ちているような花ではなさそうだ。

−…忍人みたいだ。

ふとそう思ってから、そう考えた自分にぞっとする。
自分はこの桜の花の何に忍人を重ね合わせたのだろう。…色に?……形に?………否。

−…まだこれから咲こうとしている、…その矢先に引きちぎられたこと、に。

そのとき、かつん、と音がした。那岐がはっと音のした方を振り返ると、廊下の向こうに
忍人がいた。那岐を認めたためだろうか、厳格な表情を少し和らげて、彼は手を上げた。
回廊へ一歩踏み出したその顔に、夕方の赤い光が照り映える。……まるで。

−…まるで、血を浴びたようだと。

「…!」
那岐はぎゅっと目を閉じた。
「…那岐?」
近づいてきた忍人に静かに問われ、那岐は無言で強く首を横に振る。
「…何でもない」
忍人はここにいる。戦いは終わった。忍人は生きてここにいる。…それなのに、どうして
僕は繰り返し考えてしまうのだろう。血に染まり、床に倒れ伏す忍人を。その上で咲き誇
る満開の桜を。
「那岐」
「……忍人」
声をかけられて、たまらなくなって、那岐はむしゃぶりつくように忍人の身体を掻き抱い
た。
「……那岐?…一体、何…」
「何でもない」
那岐が再びそう言うと、忍人はもうそれ以上は問わなかった。何か察するところがあるの
かもしれない。そういうところはとても忍人らしいと思いながら、どこかさびしくて、苦
しくて。
…衝動に駆られて噛み付くように口づけても、忍人は何も言わなかった。ただなだめるよ
うに片手が那岐の肩を抱く。あてられた掌の暖かさにようやく、ああ、忍人はここにいる、
と、…那岐は安堵の涙を一粒こぼした。