●夕焼けの夢●


病院の廊下の突きあたりの窓は、西日がきついからという理由で、夕方はいつもブライン
ドが下ろされていたが、蓬生は病室を抜けだしてよくその窓を見に行った。
ブラインドと窓の間に身体を滑り込ませ、暮れゆく空や雲を見ながら空想に耽る。
走る自分、ジャンプする自分、毎日学校に通う自分。
……だがなぜか、大人になった自分はうまく想像できなかった。大人の自分が存在できる
のかどうか、自信がもてなかったからかもしれない。元気になる小さい自分は想像できる
のに、…何故、だったのだろう?

…胸が重く苦しくて、目を開ける。部屋の中は朱色と緋色がまじりあったような光で照ら
されていて、かすかに消毒薬の匂いがする。
蓬生はぎょっとして身を震わせた。
ここは病院か。小学生の時の手術で完治したと思ったのは夢で、自分は今もポンコツの心
臓とともに病院に閉じこめられているのか、と。
……が。
「…ん」
小さく呻いて寝返りを打った傍らの熱が、蓬生の胸の上に載せていた自分の腕を自分の身
体の方に引き寄せたとたん、呼吸が楽になった。
…バカバカしくて、蓬生は思わず吹き出す。
「……何…?」
それで目が覚めたのか、大地が小さくあくびをして、もう一度蓬生の方に寝返りを打つ。
「もう起きたのか。…早いな」
早い。…そうだ。今は朝だ。夕方の光だと思ったのは朝焼けで、消毒薬の匂いがするのは
ポールにかかった大地の服だ。自分は確かに健康体で、ちゃんと大人になっている。
くすくす笑っている蓬生を訝しむように、大地は少しはっきりした声で問うてきた。
「…何を笑ってるんだ?……何か、楽しいことでも?」
「別に。…子供の頃の夢見て、夕方かと錯覚してん。……朝やのに。…それがおかしかっ
ただけや」
「…ふうん」
うなって、大地はふいと蓬生を引き寄せた。
「…何なん、急に」
「別に」
「別に、て」
「…聞いても答えてくれないんだろう」
「……?」
「何か辛かったことでも思い出したのか、なんて、俺が聞いたって、きっとごまかされる」
「……」
「だから俺は勝手に解釈して、勝手に蓬生を慰める。それだけだよ」
「……」
「…もう少し、寝よう。今度は未来の自分の夢を見るといい。できるだけ、幸せなやつ」
「……」
子供の頃は、未来の自分を想像できなかった。でも今はちゃんと想像できる。大地と笑っ
ている自分。毎日、前を向いて歩いていく自分を。
蓬生は、くるりと肩を抱いている大地の爪に、そっと唇で触れた。じんわりとしたなめら
かな熱。
この熱があれば、きっともう、夕焼けの夢は見ない。