●銀の雫降る降る●


堅庭に出て、ぼんやり月を見つめていると、いつもは那岐が座っている隠れ場所のあたり
で人の気配がする。
こんな深夜に珍しい、と思いつつ、忍人が、
「そこにいるのは那岐か?」
のぞき込みながら声をかけると、見上げてきたのは那岐ではなかった。
「…アシュヴィン」
「忍人か。……なんだ、ここは鬼道師殿の巣か」
……巣。
忍人が思わず苦笑すると、アシュヴィンもさっぱりと笑った。
「道理で居心地がいいと思った。猫は心地良い場所をよく知っている」
「君は、そこで何を」
「月を見ていた。…ここは壁にもたれられるから、空を見上げるのが楽でいい。……こう
やって木の下にいると、梢越しにきらきらと白い光が降って美しいしな」
美しい、とつぶやいて、アシュヴィンは少し苦い顔になった。
「……中つ国は、月も美しいな」
「……」
「常世は、黒き太陽に毒されてからというもの、月も禍々しく赤いんだ。……とても、ぼ
んやり月でも見上げようという気にはならない」
「……そうか」
「早くこの美しさ、静謐さを我が国にも、と思うが、焦りは相手をつけ込ませる隙になる。
…焦らず、一つ一つ、だ」
忍人は、かすかに眉を開いた。
「…君は存外、…用心深いんだな」
「俺を猪か何かと思っていたか?」
常世の皇子はにやりと笑う。
「行き当たりばったりに突進するのは、お前のところの姫君が一人いれば充分だろう。俺
は搦め手を考えるさ。……もう少し前の俺なら、時に、勢いだけの正面衝突も考えたかも
しれないが」
彼の瞳をかげらせるのは、あの出雲での戦いだろうか。…あの戦は犠牲が多すぎた。忍人
とて、あの戦の後では、正攻法ばかりを考えてもいられない。
「…今は、この話はやめよう。……なあ、忍人。ここに来ないか。少しの間、共に月を愛
でよう。……たまにはこんな夜があってもいい」
「…そうだな」
誘われるまま、ひらりと下へ降りる。肩を並べ、梢越しに見上げる月は、きらきらと、き
らきらと、銀の雫を降らせるようだった。