●死角● 夕方、ホテルにチェックインして、フロントに預けて部屋に入れてもらっておいた荷物を 確認しようとエレベーターに乗ると、何故か土岐がのこのこついてきた。 「…?泊まらないんだろう?」 「泊まらへんよ。今夜夕飯食べたら家に帰る。…せやけど、どんな部屋か見てみたいやん。 神戸に住んどってここに泊まることってそないないやろし」 「まあ、そうだな。…言われてみれば、俺も横浜のホテルに泊まったことない」 素直にうなずくと、土岐は口元でくす、と笑って、ふいに大地を抱きすくめた。 「…!?…なに…っ」 「かわいいというか、案外うっかりしてるんやな、榊くん。…密室で二人きりになって、 俺にこんなことされる、とか、疑いもせんの?こうやって抱き合うてるとこ、もしエレベ ーターが止まって知り合いの誰かに見られたら、どないする?」 甘い香りの吐息が耳にかかって、とっさに大地は土岐を突き飛ばそうとした。し得なかっ たのは、気配を察した土岐がさっと手を放して身をかわしたからだ。 「ま、ここのエレベーターは扉が開くんゆっくりそうやから、ちーん、いうてから身体放 しても余裕で間に合うけどな。…そんな怖い顔せんとき。冗談や」 「……。…土岐の冗談はいつもたちが悪い」 「今更、そんなん。…よう知っとうやろ?せやのにうかうかと俺と二人きりになった君の ミスや。千秋も如月くんも、たぶん同情せんで」 「……」 「ああ、ついた。…行こ。部屋、見せてや」 「…嫌だと言ったら?」 開いた扉から先にフロアに出て、土岐はあれれと笑った。 「いらん警戒させてしもた。…せやったら、ドアストッパーでずっとドア開けといたらい いやん。そしたら大丈夫やって。俺かってそこまで恥知らずやないし」 「……」 用心深い顔をしながらも、少しほっとした様子で、大地が先に立って部屋を捜し始める。 その背中を少し離れて追いながら、土岐はふっと笑った。 「……ま、ホテルの部屋は結構廊下からの死角あるから、ドア開けてあったかて、なんぼ でも悪いことできんねんけど、な」 ……その恐ろしいつぶやきは、残念ながら前を行く大地には聞こえなかった。