●警戒●


堅庭で、じっと腕組みをして、アシュヴィンが立ちつくしている。夕方の光がその紅い髪
に照り映えて、まるで炎のようだ。
…動かぬ彫像のようだった彼だが、やがてふと、背後をゆっくりと振り返った。
「…のんびり、物思いに耽ることも許されないのか」
声をかけたのは四阿に向かってだ。
「何の用だ。……那岐」
名指しされて、不承不承那岐は四阿の柱の影から姿を現した。
「いつ気付いたのさ」
「先刻だ」
アシュヴィンはあいまいな答えをきっぱりと言った。
「俺の質問に答える前に問いかけるとは良い度胸だな。……何の用だ?」
尊大なアシュヴィンの態度に、那岐は少し拗ねたような顔を作った。
「…。…別に。…ただ僕は、他の誰かのようには、あんたに心を許すことが出来ないって
だけだよ。…常世の黒雷殿」
「……」
アシュヴィンは少し目をすがめたが、口元にはおもしろがるような笑みが浮かんだ。
「千尋はああいう性格だから、疑うよりもまず信じようとするのはわかる。でも、警戒心
が人一倍強いはずの忍人が何で、もうあっさりあんたを受け入れているのか、僕には理解
できない」
「……そうだな」
アシュヴィンは首をすくめた。
「だが俺が逆の立場だったとしたら、同じように忍人をすぐに信じるだろう」
「……」
「……あいつは、同じ匂いがする」
「……同じ匂い?」
「…甘い匂いではない。血と刀の匂いだ。武人の匂い、と言ってもいいか。正々堂々と戦
い続けてきたが故に、刀に傷つきもする、返り血を浴びることもある。…そういうまっと
うな武人なら、くだらん嘘はつかんだろうと思うし、卑怯な真似もしないだろうと信じる。
…俺ならそうする、という話で、葛城将軍がどう考えているかはわからんがな」
「……」
那岐はまじまじとアシュヴィンの顔を見つめた後で、少しうつむき、つまらなそうなため
息をついた。
「…なんだか気に入らない」
アシュヴィンは薄く笑った。那岐の言葉が耳に入っているはずなのに、それについては何
も言わず、首をすくめて視線をそらす。
「…まあ、納得するまで俺を見張るがいい。……この船は居心地が良すぎて、俺も少々気
味が悪い。確かに、お前の仲間は皆、警戒心というものが欠けているようだ。あの神邑の
女傑やお前のような存在が一人くらい必要だろう」
笑みをひらりとひらめかせ、アシュヴィンは那岐に背を向けた。その視線はひたすらに虚
空に向けられる。彼の思いは中つ国の侵略ではなく、自国にのみあるのだと、那岐にも察
せられる痛みと慈しみに満ちた眼差し。
中つ国の太陽はどこまでも美しく、ゆっくりと海に向かって落ちていこうとしていた。