●五月の雨●


家を出ようとすると、すれ違いざま忍人が、
「夕方から雨になるぞ」
と言った。
真っ青に晴れた空を見上げて、
「大丈夫だよ」
と気軽に返したことを、那岐は今後悔していた。
改札の外は土砂降りの雨。駅の床の上も水浸しだ。田舎のこととて、駅前にコンビニがあ
るわけでもない。電車から降りた人達は皆、天気予報を知っていたのかあるいは既に別の
場所で降られたか、手に手に傘を開いて、家路をたどるために深夜の町へと出て行く。

−…電話しようか。

携帯を眺めて、那岐は一つため息をついた。いつもなら、一も二もなく電話しているとこ
ろだが、忠告を押し切って傘を持たずに出た手前、傘を持って迎えにきてほしいと頼むの
が、少し心苦しかったり気恥ずかしかったり。
うう、とうなりながら携帯のフリップを開いたり閉じたりしていると、駅の外から少し呆
れた声が、ため息混じりに、
「那岐」
と呼んだ。
「……っ!」
がばと振り返ると、傘を手にした忍人が立っている。
「……何で!?」
「傘を持っていかなかっただろう」
「いや、そうだけど、じゃなくて!…この時間に帰るとも何とも言ってなかったし、メー
ルだって電話だってしてないし」
「ああ。メールか電話が来るかと待っていたんだが来なかったし、門限に間に合う電車は
これが最後だから、もしかしたらと思って。……那岐は真面目だから、約束事は破らない
だろうと」
「……忍人」
「早く帰ろう。…五月とはいえ、雨の夜はやはり少し冷える」
「……ごめん」
「……?」
忍人は眉を上げた。
「……せっかく忠告してくれたのに、聞かなくて。…なのに、その…」
「那岐。…言うべき言葉が違う」
「……え?」
忍人は冷静な顔でじっと那岐を見てから、ほろり、小さく微笑んだ。
「……お帰り?」
「……っ」
その言葉が要求する挨拶なら、ただ一つ。
「………ただいま」
うれしくて、照れくさくて。…頬を少し赤くしながら、那岐はあと一言付け加えた。
「……ありがとう」