●傘の花● つまらないことで喧嘩した。わざわざ横浜まで会いに来ているのに、なんでこんなことで 腹立てなあかんねん、と思いつつ、売り言葉に買い言葉はだんだん収拾がつかなくなって。 「…今日はもう、家帰り。…頭冷えるまで、顔見せんといて」 ふいと言い捨てて背を向け、蓬生はホテルのエレベーターに乗り込んだ。 低層階が商業施設になっているためだろうか、あるいは港に面して景色が美しいからか、 そのエレベーターはシースルーで、外の景色が見えるようになっていた。 ただ、今日は雨が降っているせいで、外は薄暗いばかりで余り美しい景色ではない。もう 夕方のはずだが、こんな天気では時間すらはっきりしない。ただ、上から見下ろす街路は、 いくつも咲いた傘の花で色鮮やかだった。 遠くを見はるかしてからふと足元を見て、蓬生はどきりとした。 ホテルのエントランスから出てきた人影がぱっと開いた傘の花に、見覚えがあったのだ。 ごくごく地味な男物の傘だが、マホガニーブラウンの大柄なタータンチェックは少し珍し い。 −…大地。 ちん、と、少し間抜けな音をたててエレベーターが扉を開いた。蓬生の泊まっているのは 高層階だ。大地は蓬生の捨て台詞を聞いても、もしかしたらと思って今までロビーで蓬生 を待っていたのだろう。…そしてどうにも戻らないと諦めた。 −…あかん。…ここで許したら、またきっと大地、図に乗るし。 口ではそう言ってみたものの、目にはたった今見た傘の花が焼き付いて離れない。このま ま見なかったことにして部屋に戻ったとしても、どうせ落ち着かずにいらいらするのは目 に見えていた。 「……ああもう!」 吐き出すように叫んで舌打ちしながらも、蓬生はもう一度エレベーターを呼んだ。他のフ ロアで誰も呼んでいなかったらしく、すぐ開いた扉の隙間に身体を滑り込ませ、素早く閉 じるボタンを押す。 必死で下界に目をこらせば、遠ざかりつつはあるけれど、まだ大地の傘は見分けられた。 …ほっとして、……ほっとする自分が悔しくて。 「…追いかけるんは今日だけやからな」 などとうそぶいたりする。 …もしまたこんなことがあれば、きっとまた自分は追いかけてしまうのだろうなと、心の 底ではちらり思いながら。